兜跋毘沙門天
東寺(教王護国寺)宝物館
(京都市南区九条町)
 東寺の国宝兜跋毘沙門天立像は中国・唐からの渡来仏で、異国色の濃い武神像として多くの仏像ファンに注目されてきた。模造もかなりあり、同形の毘沙門天像は各地の寺院や博物館でも拝せる。
 毘沙門天は四天王の多聞天と同じ神で、一般的に単独尊のとき毘沙門天と称される。そのうち兜跋の名が付く毘沙門天は、古書に中国西域の都城に出現して外敵を撃退したとあり、中国や日本では古くから王都の守護神として、郭の楼門などに立ってきた。だが、その語源がはっきりしない。字義や像容からは、兜をかぶって地神の住む大地を踏む神と解せるが、定説はない。中国西部の吐蕃(古代のチベット)に兜跋の字を当てたという見方などがあり、最近は持物の宝塔に関わる言葉という説も唱えられている。
 霊験を誇るこの西域の武神は日本にも伝来し、平安京の正面羅城門に奉納された。それが東寺の現国宝像だ。平安時代に門が壊れて約400メートル東の東寺へ移され、食堂などに安置、現在は宝物館に収まっている。
 用材は京都嵯峨・清涼寺の国宝釈迦如来立像と同じ中国産桜材。細部を練り物で作るなど唐の技法も顕著だ。日本の兜跋天像の原像とされ、、以後は和風化しながら基本形を保ち、毘沙門天の一典型として仏教美術史に定着した。
 宝物館で国宝像の前に立つた。少し腰をひねり、どんぐり目と眉を逆立てる。口は小ぶり、右手に戟を執るが、左


平安京の正面固めた守護神
手の宝塔は欠矢。四面形の宝冠をかぶり、鎖を編んだ裾長のよろいに籠手と脚絆を着ける。でも、あまり怖くない。衛兵か儀仗兵の姿である。
足元の台も特殊だ、上半身の大地の神天女か尼藍婆と毘藍婆の2鬼を従えて両手を上げ、その掌上に毘沙門天が立つ。この形式は東寺講堂の和製多聞天立像(国宝、平安前期)にも採用され、日本仏像製作に大きな影響を与えたことをしのばせる。
 再度、国宝像の前へ。特異な武装姿だが、小顔で細身、くびれた腰、腰高で足長。一瞬、宝塚歌劇の男役スターの雄姿が頭をかすめる。(フリー記者 岸根一正)
No77-03/19