小袖 染分綸子地小花鹿紅葉模様
        江戸時代(7世紀)  徳川家康の侍医であつた板坂卜斎は、その覚書の中で「衣装結構なことは家康に始まる」と記した。しかし、衣装に気をかけたのは家康ばかりではない。徳川家が天下を治め、戦乱の世が終わって迎えた江戸時代、人々の間にようやくおしゃれを楽しむ余裕が生まれたのだつた。
 江戸時代初期に女性たちの晴れ着が流行したのが「無地小袖」である。「無地」とは、絹地が見えないくらいに全面に模様を施すこと。黒・紅・白を基調として四季草花模様や吉祥模様を表した。今、ここにお披露する小袖は、その典型的な一例である。
 まず、目を引くのは大
胆な斜めに往来する鋭角三角形の染分けである。地色は黒で、交互に細かい鹿の子模様の絞りが藍と黒で染められている。一方、黒地の部分には、正月の吉祥模様である若松、春を表す赤と白の小花、秋を彩る紅葉に鹿の模様が細かい刺繍で交互
に表されている。
 「紅葉に鹿」の組み合わせは花札でもおなじみだろう。この模様から、昔の日本人は『古今和歌集』の一首「おく山に 紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき」に思いをはせた。模様の中に戯れる愛らしいつがいの鹿をみとめた時、この地無小袖まとった女性の風情に感じ入る。
 武家女中ならば誰でも持っていたという地無小袖も元禄年間には流行遅れとなり、菱川師宣の一派が描く風俗絵巻を見れば、老婆が身にまとうばかり。しかし、ここに見られるデザインの系譜は現代にも残されていた。黒、紅、白の地色に吉祥模様を全面に表した婚礼用の打掛こそ、その名残なのである。(教育普及室長・小山弓弦葉)