小葵文様直衣
  南北朝時代(1390年ごろ)  『源氏物語』などの王朝文学や絵巻物に描かれる姿から、私たちはみやびやかな公家の装束を想像する。しかし、実際に着用された公家装束は、最古でも桃山時代の作例。古代・中世にまでさかのぼるのは、神々のために作られた古神宝に
含まれる装束のみである。
 古神宝の中で最大の規模を誇るのが、足利義満の沙汰のもと、天皇・上皇・諸国の有力守護らの合力によつて奉納されたという。熊野速玉大社の古神宝類である。後世に追加寄進されたものも含まるだろうが、小
物なども数え上げると、総点数は実に千点にも及ぶという。ほとんど制作年代の知られない中世工芸品の中にあつて、寄進年代が明らかな作品群は、極めて重要な位置を占める。
 この直衣は、熊野速玉大社の旧摂社である阿須賀神社の祭神のためにあつらえられた。貴顕の信仰を集めた熊野速玉大社は、かつては33年に一度、遷宮とともに神宝を新調した。ゆかりの深い阿須賀神社にも、神宝の寄進が行われてので
ある。
 光りの加減で浮かび上がる袍の文様はあや織りで、銭葵または冬葵とされる花を中心に、四枚の葉をひし形の稜線に配した小葵文様。現代でも皇族の装束に用いる格調高い文様である。四周を囲む葉は葉先を柔らかく巻き、定型化した現代の小葵に至る以前の古様な姿を見せる。阿須賀神社の祭神は男神であるため、神宝装束は公家男性にならつて調進されている。人間の寸法よりも一回り大きいのは、、神宝装束ならではだろう。
 昨年は伊勢神宮や出雲大社で遷宮が行われ話題となった。住まいや持ちものを一新することで力を盛り返し再生すると信じられてきた日本の神々。そのための調度や衣装を通じて、私たちは宮中貴族の営みをうかがい知ることができる。
 (教育室長・山川 暁)