のどかな情景 漂う不気味さ 
 一度見たら忘れがたい、強烈な印象を残す作品である。
 描かれてするのは、16人の幼子と、2人の女性。右隻=写真=では、芽吹いたばかりの柳の下で、子どもたちが闘鶏や相撲に興じる。その後では牛が寝そべり、タンポポなど春の草花がほころぶ。左隻では、赤児をつれた女2人がそぞろ歩き、少年たちが魚釣りに夢中になっている。そのな童たちを、アシの葉先にとまる一羽のカワセミが、興味深げに見つめる。
 ところが、そんなのどかな情景とは裏腹に、子どもたちの表情には不気味さが漂う。目はボタンのように丸く見開かれているだけで、そこに感情を読み取ることはできない。けばけばしいほど赤く肉感的な唇には、あいまいな笑みが浮かぶ。無邪気さのなかに狂気がにじむ。
 銀箔の背景も謎めいている。金に対して、銀は伝統的に夜や月光を表すために用いられた素材である。村童の戯れる背景に使われた理由は定 群童遊戯図屏風
    曽我蕭白筆 江戸時代(18世紀)
かでない。
 作品の主題については、さまざまな解釈がある。2012年夏の特別展の折、西日本新聞の特集記事で3人の専門家の見解が紹介された。一つには、中国の童子を描いて子孫繁栄の願いを託した「唐遊び」の和風アレンジとする説。第二に、禅の悟りに至プロセスを牛と牧童にたとえた「十牛図」のパロディーと指摘する。牛を探し求める「十牛図」の牧童に対して、ここでは子どもは牛には目ねくれず、遊びに熱中している。最後に、銀地という特異な表現に着目し、黄泉の世界を現しているという説である。画家は晩年、愛児を亡くしている。
 本図は曽我粛白が当世風俗を描いた極めて珍しい作品だが、テーマーの謎解きは始まったばかりである。(研究委員・鷲頭 桂)