球形の陶器の中に詰まった鉄サビの塊。長崎県松浦市の鷹島海底遺跡から発見された「てつはう」と呼ばれる炸裂弾だ。鎌倉時代中期に大陸を支配していたモンゴル帝国が2度にわたつて日本に侵攻した蒙古襲来を物語る貴重な遺物だ。
 2度目の襲来となつた弘安の役(1281年)では、平戸島に集結した元軍の船団役4千隻が、博多に向かう途中で台風を避けるために鷹島沖に集結した。ところが、暴風雨で船同士が衝突するなどしてほとんどが沈没してしまったと伝えられている。鷹島海底遺跡は元軍10万人の終焉の地なのだ。
 元軍の襲来から700年余りが経った現在、元寇の沈没船を探すための水中考古学的な調査が鷹島沖で行われている。2011年に元軍の大型船体も発見。海底の発掘調査では船体の一部や中国の陶磁器類、武器武具や漆器類など多彩な遺物とともに。「てつはう」が引き上げられた 長崎県松浦市出土  鎌倉時代(13世紀)

てつはう
  「てつはう」は鉄や陶製の球形容器に火薬を詰め込み、導火線に火を付けて爆発させる元軍の最新兵器だ。巨大な爆発音に人馬とともに驚き、当時の鎌倉武士は苦戦を強いられたようだ。
 陶器の中に詰まった鉄サビの塊を、X線CTを使って解析した結果、鉄片や陶片などが入っていることがわかつた。爆発時に鉄片が飛び散り殺傷力を増加させていたと考えられる。現在の炸裂弾と同様に、火薬の爆発音だけでなく、中に入れた鉄片や陶器片が飛び散って破壊力を増す構造になっていたのだ。使用方法や効果など、まだ不明な点は残るが火薬を使った武器を見たことのない鎌倉武士にとつては、恐ろしい兵器であったことが想像できる。
  (博物館科学課長・今津節生)