No1   大林宜彦 人生フルーツ
    長引く自粛生活で閉塞感が漂い。すぐそばにいるかもしれない未来のウイルスに戦々恐々とする日々。半径2メートルの身近な世界ばかりが気になりがちだが、こんなときこそ現実から少し距離をとり、時間と空間を飛び越え、心と思考をぐっと広げてくれる一策をオススメしたい。
 スタンリー・キュープリク監督の「200年宇宙の旅」SF映画の金字塔といわれるが、半世紀以前前につくられたとは思えないほど現代にも響く作品だ。そとことで言うと、「人はどこかに来た、どこに向かうのか」を美しく詩的に描いていた。   
2001年宇宙の旅(19008年) 
  ? 説明を省く
 
 はるか昔、突然現れた謎の黒い板「モノスリ」に触れた猿人は、骨を道具や武器にするという知に目覚める。時は変わって人が月に行く時代、月面でモノリスが発見され。その電波が向かう木製に宇宙飛行士が派遣される。だが、宇宙船を制御する人口知能「HAL9000」が暴走し始めて・・。
 最初に見たときは理解不能で「?」の連続だつた。圧倒的な映像美と重厚な音楽。タイトルどおり、宇宙を旅しているような気分も味わえる。ただ、それ以上に疑問がわく、モノリスとは何なのか、宇宙飛行士は結局どうなつたのか。けれど、わかりにくさこそがこの映画の魅力なのだ。
 「語り草になる ような、いいSF映画を」とキューブリックがSF作家のアーサー・C・クラークに持ちかけ、ともに物語を練り上げた。だが、制作は二転三転。キブリックは冒頭に入れる予定だつた科学者や哲学者の専門家インタービューを取れやめ、物語を補欠ナレーションも完成直前に全てカツト。モノリスによつて猿人を進化させた地球外生命体の存在も一切説明示さず、説明部分を一切省いた、それが多くの謎を残し、さまざまな解釈と議論を生み出し
人類はどこへ 想像は無限大
多くの謎が魅力 古びない世界観 
  言語より映像を重視したキューブリックは「言葉による分類整理を無視し、感情的で哲学的な内容を直接存在意識に訴える映画」と語っていたという。
 CG技術もなかった時代。知恵を絞った特殊撮影で生み出した斬新な映像と徹底した世界観に驚かされる。  
▼ 映像を再現
 未知との遭遇という意味では、モノリスに新型コロナウイルスを重ね、これからげくへんするであろう社会を想像してみる・・というのは飛躍しすぎかもしれないが、余白が多いからこそ、想像の翼が広がる。
 また、物語の陰の主役と言っても過言ではないHALは、AI技術が発達した今、より見近な存在になりつつある。それだけに、完璧なはずだつたHALが穏やかな語り口のまま静かに狂っていく様はリアルに怖い。テクノロジーによる監視社会への懸念といった意味でも、より一層現実味を帯びて問いかけてくる。
  「ツァラトゥストラはかく語りき」の旋律ともに、太陽、地球、月が一直線に並ぶ荘厳な宇宙空間。猿人がな宙に投げた骨が一瞬で400万年の時を超え、鮮やかに人工衛星に形を変え、「美しく青きドナウ」のワルツのって無重力の不思議を味わい、幻覚のような光のジェットコースターで時空の旅へ。再び言語化してしまうのはもつたいないくらい、総合芸術としての映画の力を「体感」できる。
 公開されたのはアポロ11号が月面着陸する1年前。その後も宇宙開発は進み、映画界でも新たな技術を駆使してあまたのSF作品がうみだされ、ついにはトム・クレーズが実際に宇宙で映画撮影するじゅんびを進めている、というニュースまで飛び交う時代になつた。それでも「2001問宇宙の旅」は、いつ観ても全く古さを感じさせない。
 ラストシーン、宇宙飛行士の生まれ変わりと思われる胎児が地球を見おろす。クラークの小説版には、胎児(スター・チャイルド)がその後、軌道をめぐる核兵器を爆破したと読み取れる一節がある。東西冷戦という時代背景が影響したのだろう。さて、2020年、地球が俯瞰してみる。このコロナ禍を経て、人類はどこへ向かうのか、宇宙の旅を体験しながら、未来に想いをめぐらせてみたい。
      (佐藤美鈴)
2020年宇宙の旅 ・予告編
 
自然と歩む夫婦の日常 
  自然との共生をうたうドギュメンタリ―は数多いけれど、なかでも、この作品は一際異彩を放つている。封夫婦の自然に委ねた日常を綴って、人生の深さに触れているからである。
 愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一角に、建築家の津端修一さん(1925年生まれ)と3歳下の妻の英子さんの住まいがある。敷地300坪に一戸建ての平屋だ。敷地内に風の通り道の雑木林を育て、畑を耕し、50種類の果実と70種類の野菜を栽培している。
 津端さんは55年に結婚、日本住宅公団に入る。60年にニュータウンの設計を任される。里山の地形を生かし、街の中に雑木林を残す斬新な構想は、しかし、高度成長という錦の御旗の下には無機質な大規模団地に変貌する。夫婦は70年に団地に入居、5年後多雨化内に土地を購入し、「実験」のつもりで植樹する。
 2014年5月に始まった撮影は、結婚して50年の夫婦の、何事も起きないのだが何かと小まめにかかずらう暮らしを、水浴場の野鳥を、木の葉でそよぎを、そつなく伝える。明るくてさわやかて暗さはみじんもない。
 英子さんが、娘露産や友人知己への贈りもの段ボール箱に詰めている。なんとたくさんの箱なのか。それに、果実と野菜のなんと豊かで艶やかに輝いていることか。
 そして唯一の非日常、夫婦共著の本が台湾で出版され、プロモーションに出向いたのだ。夫は戦時中徴用された少年工の墓参も兼ねた。
 15年6月、修一さんが死ぬ。畑の草取りのあと昼寝してそのまま目覚め叶ってという。
 東海テレビが16年3月に放送した番組の映画版だ。制作・阿武野勝彦、監督・伏原健之。
 一見、詩趣に富むスケッチのようで、どして手ごわい作品である。カメラは表向きも言葉少ない夫婦のささいな仕草や会話、すてきな笑顔を好奇心だっぷりに拾いながら、実は、2人の歩んだ幾時代かと美意識も見逃さい。
 文明批評を潜ませた逸品である。
          (秋山登・映画評論家)
    ◇日本映画専門チャンネルで15日夜9時半放送
            人生フルーツ
 
  「助けて! 老人ホームに行けられる。まだ88歳なのに」気ままな独居生活のマーツからSOSの手紙が届いた。カナダに住む姪のフィオナはパリへと向かう。
 馴れない異国は迷路のよう。荷物も失くし途方に暮れる。彼女の前にはホーム
 レスの男ドムが立つ。船上の2人はやがて手を取り、流れるように踊りだす。
 認知症の老女、迷子の異邦人のルールをすり抜け、どこまでも彼らは自由だ。ルネ・クレールの「眠るパリ」さながら、エッフェル塔の上で優雅に腰かける。パリは彼らのものなのだ。
    虹色の街で底抜けに自由に
 
  主演と監督はカナダ人フィオナ・ゴードンとベルギー人ドミニク・アベル。ブリュッセルを拠点に舞台や映像作品を手がける道化師デュオだ。キートンやジャック・タチら偉大な喜劇人の伝統の先で、ベルギー流のシュールで自虐的なユーモアもブレンド。チャーミングな2人だが、撮影時(2015年)はともに還暦手前。歳を重ねた道化師が醸し出す人間味が愛おしい。
 老女マーサに扮するのは名女優エマニュエル・リヴァ。アラン・レネの「ヒロシマ・モナムール」、「愛、アムール」と死の影が漂うシリアスな作品で知られる。本作は17年に逝去した彼女の最後の代表作。これまでと一転、生の喜びに溢れたスラップスティック・コメディーでいたずらそうな瞳を輝かせる姿が感動的だ。
 色とダンスと詩情をまぶした紅色の金平糖のような佳作。口に含めばじんわりと幸せが広がる。ノンシャラン(無頓着な人)たちが世界を肯定するオブティミストなバリ。コロナ過の今見直すと郷愁すら覚えた。 
(林理恵・映画ジャーナリス)
 
  ルディ・レイ・ムーアは1970年代ブラック・カルチャーの徒花である。エロ漫談とでもいうべき独特の一人語りを吹き込んだレコードが人気を博し、しまいに自作自演のアクション映画まで作ってしまつた。破天荒すぎて目が離せなくなつてしまう奇人の伝記映画だが、エディ・マーフィの熱演のおかげも
 ラゼウスキー&スコット・アレクサンダーのコンビ。「江戸・ウッド」や「マン・オン・ザ・ムーン」などで、自分の夢を信じつづけたはぐれものの尊さを訴えてきた2人組による快作である。
   (柳下毅一郎・映画評論家)
     破天荒な奇人をエディ熱演
 
あって、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。
 レコード屋の定員をしていたルディはホームレスの語る法螺話からヒントを得て、「ドールマイト」という架空のキャラクターの冒険家の一人語り芸をはじめる。下ネタを入れつつ下品な笑いを誘うルディの語りは黒人から圧倒的な支持を受け、彼の「パーティ・レコード」はヒットチャートにのる。ルディのギャク自体のおもしろさより、日の語り口こそが問題だった。卑語を交え、韻を踏みながらリズムは口承文学の伝統を現代に読み甦らせ、のちのヒップホップとのあいだをつなぐミッシング・リンクとなつたのだ。現在ルディ・レイ・ムーアは「ラップのゴッドファーザー」とも呼ばれている。
 周囲から馬鹿にされても自分の才能を信じ、猪突猛進で突き進むルディにいつのまに周囲の人々もまきこまれていく。「映画がヒットしようとしまいと、ここまで来ただけですでに成功なんだ」とルディは宣言する。脚本も手掛けたのはラリー・カ
  それでもちょいワルおやじだ。家族を放つて仕事に没頭していた父へのわだかまりを抱えね大人になりきれていないティムとは、外見も中身も好対照。パティものの作法通りだ。
 ズッコケ気味のポケモンバトルなどを織り交ぜつつ、ハリウッドの定席通りに事態がエスカレートし、クライマックスは大パレードを舞台にしたスペクタクル。物語のカギを握るのが伝統のポケモン「ミュウツー」で都合よく万能すぎる気もするが、まあそれはミュウツーでから。
 父子のドラマの決着も鮮やかで、すがすかしい。
                         (小原篤)
   
ちょいワルおやじ謎に迫る 
 アニメやゲームで愛されているポケットモンスター、ピカチュウがハリウッドで実写映画デビューを果たした本作。珍奇なビジュアルのキワモノを予想(期待)していたけれど、ストーリーもドラマも意外やオーソドックで、「これじゃ引っかかりがなさ過ぎやしないか」と心配になるほどだが、おなじみのポケモンたちがにぎやかに顔見世して盛り上げてくれる。うまくしたものだ。
 主人公ティム(ジャスティス・スミス/声・竹内涼真)のもとに父ハリーが事故死したとの知らせが届く。人間とポケモンが共存するライムシティの父の部屋で、彼はビカチュウ(声・西島秀俊)と出会う。ピカチュウはハリーの探偵業の相棒で、今は記憶をなくしているが、父は必ず生きていると断言。手がかりを追う即席コンビは、父の調べていた事件の謎に迫っていく。
 人間の役者と共演するCGピカチュウは黄色い毛で全身フサフサ、つぶらな瞳に赤いほっぺはかわいいけれど、中身はオッサンくさい。
2020(令和2年)5月27日  朝日新聞夕刊