こんなに瑞々しく、リラックスしたグザヴィエ・ドラン作品は初
めてかもしれない。19歳の時に撮った監督デビュー作「マイ・マザー」
ですら、戦闘態勢の緊張感に包まれていたというのに。ワールドワイド
な規模でドラマは展開した初の英語作品「ジョン・F・ドノヴァンの死
と生」を経て、再び地元カナダのゲックを舞台にした今回の新作では、
30歳の青年ふたりの、少年のごとき恥じらいや感情を描き出す。
 幼なじみの親友であるマティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイ
タス)とマキシム(ドラン自身が演じる)。彼らはホームパーテの最中、
仲間の妹が監督する自主映画でキスシーンを演じる運びになる。そこ
から互いへの恋心や性愛のようなものを意識し、自らの内に湧き上が
る未分化の感情に戸惑いを覚える。
 意外だったのは、これまで同性愛を自明のものとして劇に取り組ん
できたセクシュアリティーの壁を主題にしていること。また主人公ふ
たりには経済格差か゜あり、マキシムは貧しい。マティアスはエリー
トで、社会的成功を積み重ねているぶん、世間的な度に囚われてもい
る。行定勲監督の「窮鼠はチーズの夢を見る」における率直な態度の今ケ瀬渉と、表の顔との間で葛藤を重ねる大伴恭一のパワーバンスを連想したりも。
 美しいルックスのマキシムだが、右頬に大きなアザがある。それは率直な愛の成就を阻む分断や障害のシンボルだろうか。「ロミオとジュリエット」にも擬えられる困難。しかし苛烈な悲劇に転がるわけではない。むしろ周囲の柔らかなサポートで関係の再構築に苦戦する当人たちを適切な温度で包み込もうとする。
 古典的なラブロマンスの骨格を持ちながら、本作の決定的な新しさは、白黒つけない姿勢だろう。愛も性も友情も、その本当の形は区分けや枠組みではなくクラデーションのはずだ。積極的に"曖昧さ"を許容しようとする優しさ。マティアスとマキシムを取り巻く仲間たちの、大らかで祝祭的なフレドレシップから清涼感が溢れてくる。
       (森直人・映画評論家)      ◇各地で25日公開
  
  








◇東京で公開中、大阪25日公開 順次各地
   マーティン・エデン(ルカ・マリネット)はナポリの船乗りである。ある日、港でブルジョア青年を無頼漢から救ったことから、家に招かれ、そこで令嬢のエレナと出会い、恋に落ちる。教養豊かな彼女に惹かれ、其れまで無縁であった学識と文化へ憧れを募らせる。無学な彼は文学にのめり込み、作家を志す。
 アメリカの作家ジャック・ロンドンの自伝的小説の映画化て゜ある。富と名声を勝ち取る主人公の軌跡は、アメリカン・ドリームの体現ともいえる。だが舞台が20世紀前半のイタリアに委嘱されることで、成功がもたらす精神的荒廃が、
陰影深い官能的な画面のなかに刻み込まれていく。
 スペンサーの社会進化論に感化されたマーティーンは、かつて憧憬したエレナの一家の保守性を憎み、袂を分かつ。数年後、エレナは成功した彼のもとを訪れるが、もはや彼は、愛という感情を喪失している。瞬間、彼は純真であった過去の自分を幻想する。「牢獄も鍵さえ手に入れば我が家となる。そして鍵とは愛だ」と言ったマーティンは自ら「鍵」を捨て、社会の囚人となりはてる。
 主役を演じたマリネッリが鮮烈である。見事な体躯に炯々たる眼光。暴力性を暗示する左頬の傷痕。彼の栄光と悲惨が、ギリシャ神話のような壮大さをもって迫ってくるのも、ひとえに彼の身体が醸し出すスケール感によるものだ。
 ドキュメンタリー映画出身のピエトロ・マルチェッロ監督は、多くのアーカイブ映像を随所にちりばめながら、一青年の魂の彷徨を20世紀の叙事詩へと昇華させることに成功した。
(大久保晴朗・映画評論家)
 









  ◇各地で公開。
  雨の夜、中国南部の街で出会ったやくざ者と孤独な娼婦。警官殺しの罪を背負った男の願いは、自身にかけられた報奨金を祭祀に渡すこと。そんな彼の前に、妻の代理だという女がやってくる。互いを警戒しながらも、警察と商売敵の双方に追われた2人は、手を取り逃げまわる。
 監督は「薄氷の殺人」が話題を呼んだディアオ・イーナン。未解決の猟奇殺人事件を追う刑事と謎の女の駆け引きを描いた前作品同様、長編4作目の本作も、行き場のない男女の緊張感溢れるサスペンスだ。
 閉塞感に満ちた物語も、フラッシュバックを多用する話法も、随所にフィルムノワー
 ルらしい要素が溢れている。白黒映画ではないが、鮮やかなネオンのなかで闇夜の陰鬱さがより際立つ。圧倒的な映像美の裏には、ウオン・カーウァイやビー・ガンの作品を手がけたスタッフ陣の参加がある。
 何より、印象的なショットの数々に惚れ惚れする。ホテルの地下での窃盗団の講習会。夜道をひた走るバイク集団。湖に浮かぶ白帽子姿の娼婦たち。だが浮遊するように場所を移動し続けながらも、暴力そのものは完璧に設計された画によって描かれる。体を引き裂く巨大な刃に、まっすぐに伸びた腕の先から覗く拳銃。体から飛び散る真っ赤な血が、ビニール傘を鮮烈に染め上げる。
 武漢市で撮影されたこの映画には、湿気を帯びた気怠げな空気が張り付く。闇夜のなかで繰り広げられる孤独な2人の逃亡劇。イーナン監督は、伝統あるジャンル形式を継承しつつ独自のスタイルを見事に築き上げた。
 (月水理絵・映画ライター) 
  















◇東京で公開中、順次各地で
   独特の味わいのあるイラン映画で、テヘランに住む母と娘の屈折した関係を描く。監督は筒井武文。初めての海外作品だが、力むことなく、むしろ逆にのびのびと腕を振るっている。
 モナは大学生で、あるとき、母ヌシンが日本人の男性と会っているのを目撃する。母から父親は早くなくなったと聞いていたモナは、自分の出生をめぐる秘密を感じる。仲の良い親子の心に隙間風が吹く。
 新人ラレ・マルズバンが娘役を溌溂と演じ、人気女優マーンズ・アフシャルが母親の苦悩を繊細に表現する。そして永瀬正敏が、母娘の間に挟まった日本人の田中を重厚に
 演じる。
 モナにも秘密がある。大学生の恋人がいて、彼とカナダ留学を計画中だが、教師をしている厳格な母に言えない。彼は一人悩むモナに不信感を募らせるが、嘘と分かる。そんな2人の姿が、若々しく弾んで素晴らしい。
 大都会テヘランの風物や若者の現代的な風俗が、爽やかな空気を画面いっぱいに繰り広げる。撮影は名手柳島克己。他のスタッフはイラン人で、力量を集結しており、小気味よい編集が快適なリズムを刻む。
 藻なの必死な訴えに決意した田中が、ヌシンの秘密を明かす。回想シーンになり、ヌシンが日本でも名を生むまでを描く。そこに田中の妻が登場するが、小林綾子が演じる。イラン側が熱望した配役で、テレビドラマ「おしん」が国民的な人気だからという。
 イランと日本の合作映画だが、克明に縛られない魅力を放つ。筒井・柳島コンビが、映画の面白さに国境にないことを示した。
   (山根貞夫・映画評論家)
  令和二年(2020.9.29)