ある少年の告白  水谷豊  アベンジャー  キング・オブ・モンスターズ さよならくちびる  アマンダと私  新聞記者 
「大丈夫」  ワンス・ワボン           
予告編
 クエンティン・ダランティーン監督が、1969年のハリウッドを舞台に描く、虚実が入り交じった快作。本作の主人公の一人は、テレビ俳優としての人気に翳りが見え始めたため、映画の世界へ転身を図ろうとするリック・ダルトン(レオナルド・ディカブリオ)。もう一人はリックのスタントマンで、公私共々彼を支える良き友人の2人のとある数日間と遭遇する事件を描く。
 リックの屋敷の隣に住むのは、ロマン・ポランスキー監督と妻で女優のシャロン・テート(マーゴツト・ロビー)。そしてリックやクリフが街や庭先で出くわすのは。チャールズ・マンソンが率いる狂信的なヒッピーの集団マンソン・ファミリーだ。実録事件に興味のある人にとっては、マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害事件は有名だろう。ご存じない方は本作をご覧になる前に、この出来事のあらましは予習しておいた方がより映画が楽しめる。
 俳優という人気稼業ゆえに、気分の浮き沈みが激しいリックをディカプリオが好演している。
 自信喪失、あるいは芝居が上手く出来た感激の、どちらでもすぐ涙目になる情緒不安定さがチャーミングで笑いを誘う。一方も彼の面倒をかいがいしくみるクリフはどこか得体のしれない不穏さと、肝の据わった強さの両面を持つキャラクターだ。そしてシャロンが、ふと気が向いて映画館に足を運ぶシーンは、まるで作り手からの祝福のような幸福感に満ちている。
 タランティーノらしいマニアックな映画への目配りだけでなく、俳優が演技をする行為の充実感を真っ向こうから捉えたシーンには胸を打たれる。自分の感情に振り回されるリックはいささか幼稚な人間ではあるけれども演技に取り組む真摯さはいじらしくさえある。本作は暴力的なシーンもあるものの、端々に優さしい視線が溢れた映画である。相棒へ、芝居へ、旧友へ、残酷な事件に巻き込まれた被害者たちへ。映画や虚構の物語の中に生きるもうひとつの人生という。現実を踏み越えていく思いやりに落涙してしまう作品だ。(真魚八重子・映画評論家)  
           ◇全国で30日公開
予告編
 J・R・R・トールキン。ご存じ、「ホビットの冒険」「指輪物語」の英国の作家だ。あの壮大な冒険ファンターの作者だ。これは、前半生に照明を当てた伝記映画である。
 12歳で孤児になったトールキンは、後見人の神父の計らいで、バーミンガムの名門校に通う。言語学と創作に秀でる彼は、3人の少年と親しくなる。画家志望のロバート、劇作家をめざすシェフリー、作曲家を志すクリストフ。4人は「芸術の力で世界を変えよう」と意気投合する。
 トールキンは、同時に、エディスという恋人を得る。曲折を経て、後に妻とな
 る女性だ。オックスフォード大学を出てまもなく、第1次大戦に従軍する。
 フィンランドの監督はドメ・カルコスキは、いささか並みとは違う肌合いの作品に仕立てている。伝記映画の常套とはいえ、主人公の後年の足跡を映画の現実に色濃く投影させるのだ。
 冒頭の戦場のくだり。トールキンは命の危険を顧みず、ジェフリーの安否を気づかって塹壕をさまよい歩く。高熱に浮かされた彼は幻覚を見る。砲煙の中にモンスターを、炎の中にドラゴンを、また、回想の少年時代。そこはホピツトの村そのものではないか・・。
 いわば、虚構の小説の一部が象眼されたようなあんばいで、トールキン・ファンは喜ぶに違いない。
 ただ、惜しむらく構成に総合性を欠くことである。友情と恋が二本立てなのに、口あたりの友情に熱中し、恋の味加減を疎かにした観があるのだ。
 しかしトールキンのニコラス・ホルトらの演技陣はすばらしく、ひとかどの娯楽作品として楽しめよう。
 (秋山登・映画評論家)
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 アメリカでは誰もが知るという、セックス・セラピストのドクター・ルース。彼女を有名にしたのは、ラジオ番組での赤裸々なセックス談義。80年代初頭に番組が始まって以来、多数のラジオやテレビ番組、講演に出演。本を書き大学で教え、90歳を超えた今も精力的に働き続けている。
 監督は、Neftixオリジナルドキュメンタリー「キーバーズ」で、聖職者による性的虐待の真相を暴いたライアン・ホワイト。本作では、ルースの長年の仕事ぶりが膨大な映像資料を用いて紹介される。人々の悩みに対する回答内容よりも、人びとに語りかける
祭の表情や独特の口調が中心に映されるのは、彼女のユーモラスな人柄こそが監督の興味を引いたからだろう。一方で、ホロコーストを生延び、終戦後はスナイパーとして活動もした驚くべき半生も明かされる。
 ルースは「ノーマル(普通の)という言葉を嫌い、人を型にはめることを否定する。女性はもちろん、同性愛者ら社会的少数派の支持を集めたのはそのためだ。だからこそ、政治については話さないという発言は少々以外で、周囲の人々も、彼女は常に政治的な行動をしてきたと証言す。だがその人生を知るうち、壮絶な過去から学んだ慎重さが根底にあるのかと気づく。
 全体を貫くのは心地よい軽妙さ。ドイツ語訛りの英語で、あけすけに、かつ威厳ある態度でセックスを語るルースは恥ずべきものとての性を解放した革命者。その功績を讃えながらも、映画はあくまで彼女を描く、感傷性をまとわず常に快活に笑う彼女には、この気安さがたしかに相応しい・
 (月永理恵。映画ライター) 
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 ホサノバというブラジル音楽の画期的な様式を誕生させたジョアン・ジルベネトは、よくひとりバスルームに籠ってギターと歌を練習していたという。密室で反響する自らの声を聞きながら、孤独に宇宙を創造した天才。そんな彼の絶対聖域に近づこうとした者はどうなるのか。表現の深淵でぽっかい口を開けている”魔”の連鎖を映し出したこの映画は、怪作と呼べるドキュメンタリーだ。
 監督のジョルジュ・ガショは、隠遁生活に入ったジルベルトとの対面を果たせないまま自殺したノンフィクション本の著者のバトンを引き継ぐ形で旅に出る。
   ジルベルトは今年7月に訃報が伝えられたが、撮影当時は当然存命中。だがリオでもジアマンチーナでも、探偵の必死の捜索を擦り抜けていくようなの"不在の主人公"に、ガショと同様、我々もまぼろしを追いかけている気分に陥ってくる。
 全く姿を現さないジルベルトのことが映画の中では「幽霊」に喩えられる。そこには同化すると危険な存在との含みが込められるようだ、元妻や旧友など、諸々の関係者たちは敬愛を込めて偉大な音楽家との想い出を語るが、親しく付き合った人ほど"超えてはいけない一線"を厳密にわきまえている気がする。
 おのれの欲望と魂を引き換えにした彷徨―それは悪魔メフィストフェレスに導かれたファウストの旅をも連想させる。次第にジルベルトの悲しみや憂いを得た雨甘い囁き声が、黄泉の国からの調べに思えてくるとは言い過ぎか、だがもしボサノバをお洒落なムード音楽としか認識していないひとがいたら、その聞こえ方はずいぶん違ってくるだろう。
   (森直人・映画評論家)

 ◇東京などで公開中、大阪で9月27日公開。順次各地で
 
 (令和)2019.8・4(日)   朝日新聞夕刊