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予告編
昨年、「愛がなんだ」のヒットで一気に注目度が高まった俊英監督、今泉力也、レイア劇の名手として紹介されることが多い彼だが、その中で異彩を放つ2016年の傑作をぜひ観てほしい。
 ストーリーは不思議な展開を見せる。まず東京で恋人と暮らす売れない映画監督・梶原(矢作優)が珍騒動に巻き込まれていく。一方で、ある地方。実家の造園業の会社を畳むことにした太郎(内堀太郎)のもとに、長らく音信不通だつた双子の弟・次郎(内堀太郎、2役)と同棲していたという青葉(松本まりか)が東京から訪ねてくる。次郎は別の名前で映画監督として活躍していたが、最近蒸発したらしい。
 この太郎と次郎の姓は「今泉」で、地方バートは監督の故郷である福嶋で撮影されている。この設定からうかがえるのは今泉監督の自意識が双子という設定で分裂的に投影されていることが、また劇中で具体的な場所は説明されないが、大きな地震や記憶や、原発事故の影響により放射線の残留が懸念される場所も残っていることなどが、そっと言及される。
 例えば初期の人気作である「こっびい猫」や「サッドティー」など、今泉の恋愛映画は小さな日常こそが自分たちのすべてという等身大のリアリティーに支えられている。それは「退屈な日々にさよならを」も同様ながら。しかし東京都福島、
さらに謎めいた森など複数のスポットを結ぶ形で、日常空間が多層化する。そして震災の傷痕など、外界から脅威が侵入すれば、日常はすぐ社会や政治の問題に繋がることがさりげなく示唆されるのだ。
 もちろん今泉はありていな、"社会派"に傾かせることはしない。おそらく我々が生きる世界の不安定な曖昧さを基盤とした、彼なりの寓話を作り上げたと評するのが正確だろう。ここでは生と死が親密に溶け合い、登場人物たちの存在の揺らぎも含めて、大きな膨らみや広がりが獲得された。142分の尺ながら、たゆたう幻想性の中、まるで永遠にループ(環)を描くような時間感覚にずつと浸っていたくなる。
     (森直人・映画評論家)
◇日本映画専門チャンネルで27日夜11時半放送
破天荒な愛好家らの珍騒動   
 ペットは飼い主に似てくると言われる。ならば猛獣を飼いたがる人はどういう人間なのだろう? 「タイガーキング」はその問いに応えてくれるかもしれない。
 このドキュメンタリーの主人公、ジョー・エキゾチックはオクラホマ州で200頭近くのトラを擁する私設動物園を経営し、みずからを「タイガーキング」と称している。ナルシスティックなジョーは園内で銃を携帯し、自分主演のテレビ番組を作り、自作のカントリーミュージックをかなりたてる。性指向も隠さず、複数のパートナーをはべらせてハーレム動物園を作っている。その彼にとって目の上のたんこぶがフロリダで「ビ
 ッグキャット・レスキュー」という大型ネコ科の猛獣保護施設を営むキャロル・パスキンだ・・。
 この破天荒な人物の言動をなかばあきれながら楽しんでいる視聴者をさらに驚かせるのは、次々に登場する「大型ネコ科動物」愛好者たちである。ジョーさえもが普通の人間に見えてくる。奇人変人比べの見せ物ショーの趣がある。
 ネットフリックスが3月20日にリリースしたシリーズは、コロナ過で自宅待機中のアメリカ人の心をとらえ、「タイガーキング・フィーバー」とまで言われるブームを引き起こした。エキセントリックな人物たちの引き起こす珍騒動はたしかにバカバカしく可笑しい。名声にとりつかれたジョーの姿はアメリカンドリームの裏面でもある。自分の転落を描いたドキュメンタリーによって、ついに死ぬほど切望した人気を手に入れたという皮肉に、ジョーははたして気づいているのだろうか?
(柳下毅一郎・映画評論家)
 
ろう者の現状と「声」を知る   
  フランスのろう者コミュニティーを取材したドキュメンタリー。全編は感傷的な雰囲気が漂うのは、10年前に自死した監督の友人ヴァンサンのために作った鎮魂歌でもあるからだ。
 レティシア・カートン監督は、亡き友に奉告する形で、ヴァンサンと同じろう者を取り巻く現状を紹介する。登場する人々の環境や立場は様々。手話講師しその家族。手話第一言語とするバイリンガル学校の教師と生徒たち。ろう者の権利擁護活動家。手話演劇を行う著名な俳優もいる。監督自身は聴舎だが、若い頃から手話を学び、ろう者コミュニティーとも親しんできた。 親密な関係性が、彼らの
くつろだ表情を引き出していく。
 聴者である私は、ろう者を取り巻く現実に少なからず衝撃を受けた。フランスでは手話ではなく口話を重視したろう教育が一般的で、医療現場では、耳の聴こえない子に人工内耳や補聴器をつけることが推奨されてきた。ろう者を聴者の世界に適応させるためだ。その傲慢さと弊害を映画は強く訴える。当事者の声を聞き、手話歩一つの言語と認めるべきだと。
 監督は、常にろう者の視点で人々に寄り添いながら、映像を、言葉を紡いでいく。ろう者たちの生き生きとした姿を映しながら、口話教育を受けた結果、他者との意思疎通に苦しみ続けたヴァンサンの孤独と怒りを描き出す。
 死者を弔う視線の向こうから賑やかな「声」が聴こえてくる。華麗に動く手と素早く変化する顔の表情がつくる「声」。その躍動感溢れる動きに見惚れるうち、手話言語の美しさと豊かな世界を、私たちは知る。
 (月永理恵・映画ライター)
ケーナみたいにできるかな 
 ちいさなお友達のみなさん。お休みがつづき、たいくつしている子はいませんか? 今日は長い間ひとりぽっちでくらしていたゲーナを紹介しましよう。
 ゲーナはロシアという国の動物園で働くワニです。もともとはエドゥアルド・ウスペンスキーさんの書いた絵本の主人公でした。
 1969年、ロマン・カチャーノフという監督が、お人形を少しずつ動かし、1コマずつ撮影して、パベットアニメーションにしました「その「チェプラーシカ」は日本のアンパンマンみたいにロシアで人気シリーズとなりました。そのお話を日本の中村誠監督が新しい技術で作り直したのが
2010年の「チェブラーシカ」。「チェプラーシカ 動物園へ行く」は15年に発表された続編となります。
 ロシア版も日本版も、ゲーナがお友達を作ろうと、町に張り紙をするところから始まります。それを見てたずねてきたのがチェブラーシカ。この子はオレンジノ木箱で寝ているうちに運ばれて、どこから来たのか、「ぼく、わからないの」というばかり。おさるでも、くまさんでもないんだつて。
 「動物園へ行く」ではゲーナがなぜをひいてしまい、チェブラーシカがかわりに動物園で働くお話です。「ワニ」と書かれた場所にチェブラーシカがいたら、みんなはワニと思うかな? 毎回出てくるシャブクリャクばあさんはばいきんまんみたいにいたずらをしちゃうんだけど、なぜなのかな?
 いつか新しいお友達がやって来て、自分のことをうまく説明できななかったら、チェプラーナみたいにやさしくお話できたらいいね。
 (金原由佳・映画ジャーナリスト)
 
令和二年(2020.4.27日)      朝日新聞夕刊