No1 No2  No3  No4 C・W・ニコル・佐々部、清・内田、勝正 井波律子・犬丸一郎・崔書勉  志賀廣太郎・菊畑茂久馬・皆川達 
加藤茂雄・かつお きんや・白善燁 由井晶子・森崎東・坪山豊 西川善文・サムソン 宮本・源了園 
 音量は適度に落として

C・W・ニコルさんさん
 

作家
 
自然を愛した「黒猫の赤鬼」
 空手が習いたくて来日した英国ウェールズ生まれの青年は、北海道・知床の流水から沖縄のサンゴ礁まで変化から富む日本の自然に魅せられた。
 仕事を求めて東京都内の語学企業を訪問し、「いまの児童書はつまらない。私ならもっといい物語が書ける」と訴えたら、対応した長身の紳士が「机を1カ月貸します」。英語で書き、その会社から出した「たぬき」が邦訳された初の著作となつた。1970年のことだ。
 執筆の場を提供した紳士は詩人谷川雁、60年代、若者が仰ぎ見た思想家だ。東大安田講堂に籠城した全共闘の学生が壁に残した落書き「連帯を求めて孤立を恐れず」は谷川の言葉である。言論活動から突然の退き、教育育企業の役員に迎えられていた。
 谷川とはウマが合っていた。カナダへ戻って環境保護局に勤め、南極海で捕鯨
  ニコルさんは酒豪だが、たばこは吸わないかつた。両親は愛煙家。「わたしは11歳でやめました。1日だけ吸ってね」=2009年
船に乗り、やがて日本永住を決めると、信州に移住していた谷川を訪ねて相談した。新潟との県境に近い黒姫山麓だ。「ここ? 海が恋しくなる」。渋るニコルさんは一喝された。「日本は島国です。ちょっと行けば海がある」
 80年から黒姫に住み、鯨漁師を描いた「勇魚」などの印税やCM出演料で周囲の山を順に買い、エビネが咲き、カワセミが遊ぶ「アフゥンの森」に再生させた。故郷の谷の名にちなむ森は34ヘクタールを超す。 
 3年前に私が取材した折、木片を敷いた小道が続く森を案内してくれた。「絶滅危機種が約60種います」
 切り妻屋根のアファンセンターも開ける。設計を監修した建築家の池田武邦さん(96)は霞が関ビルなど数々の超高ビルを手がけ、自身も高層階に事務所を構えた。ある日、外を舞う雪にビルを出て初めて気づいた「風向きや雲の動きを読む海軍士官だつた自分が自然を忘れていた」と深く自省し、かやぶきに回帰した。
 ニコルさんの父も英国海軍の
軍人だつた。意気投合する。ふたりは32年前に出会い、日本は連合国の輸送船団護衛のため艦隊を地中海へ送った。戦死者の慰霊碑がマルタ島の墓地に立つ。遠征した青年士官の手記の復刻に尽力したニコルさんは、父親が駆逐艦の艦長として地中海へ赴いた池田さんと20年近くまえに慰霊を訪れ、「墓地の管理費に」と復刻本の監修料をマルタ側に寄付した。
 「サムライでしたね」。兄と慕った建築家の言葉を聞けば、自称「黒姫の赤鬼」は頬を緩めるに違いない
         (田中啓介)
 4月3日死去   (直腸がん)  79歳  
     映画監督 佐々部 清さん
 生まれ育った山口・下関をこらなく愛した。
 故郷を舞台にした「チルソクの夏」(2003年)「四日間の奇蹟」(05年)、「カーテンコール」(同)は下関3部作と呼ばれ、妹の体験を下敷きにしたり、歌好きだつた父親への思いをこめたりしている。
 山口県立豊浦高校の同級生で、下関市内でイベント企画会社を営む西村祐一さん(62)は高校時代、一緒に映画館に通った。「佐々部は学食で白米しか食べなかった。親にもらった昼食代をそうやって浮かし、映画代に回していた」と思い出す」大学時代に撮影した8ミリ映画の主役を演じたのも西村さん。「佐々部
 故郷と歌 次回の脚本残し 
「八重子のハミング」で演技指導する佐々朗清さん=2016年「CTeam「八重子のハミング」  の初監督作ですが、残念ながら未完でした。
 助監督を経て02年に監督デビュー。日本アカデミー最優秀作品に輝いた「半落ち」(04年)をはじめ「夕凪の街 桜の国」(07年)など端正で骨太な演出が持ち味だつた。
 若年性アルツハイマーと老々介護をテーマとした「八重子のハミング」(16年)は山口で出資を募り、撮影した山口発の映画だ。プロデューサーを務めた西村さんは「誠実で気さくな人柄が愛されて、多くの人が佐々部の映画なら応援する。資金を出すと言ってくれた」と話す。
 亡くなった日も新作映画の準備のため下関にいた。新作は歌を愛する4人の地元中年女性の夢を追った「SMK48 百歌繚乱」(仮題)。脚本作りにあたり「どんどんアイデアが湧いてくる」と語っていたという。
 「いわば原点である『チルソクの夏』のオマージュにと意気込んでいた。チルソクは女子高校生4人の話、今度は歌姫4人の物語。ポスターを同じ構図にしたいとやる気満々だったのに」と西村さんは悔しがる。
 体調が急変、止まっていたホテルで一人静かに息を引き取った。故郷と歌への愛に満ちた脚本が残された。
          (斎藤勝寿)
  7月31日死去 (心疾患)  62歳   
  俳優 内田 勝正さん 
 彫りの深い二枚目が、見開きながらも鋭い目つきで相手を威嚇する。テレビ時代劇が人気だつた1970~80年代、憎らしくて強そうな侍や代官役でおなじみの顔だつた。
 勧善懲悪の筋書きに飽きたりなくなった私は「今回は正義を倒してくれ」と願いながら見ていた。最後は必ず負けた。捕まっても悪びれない姿は、悪役として筋が通っていた。
 作家の三島由紀夫が率いる劇団浪漫劇場に入り、舞台で活躍。時代劇をきっかけに悪役が専らとなり、「水戸黄門」ではゲスト出演の最多記録という。
 本人も薬を楽しんでいた。長男(45)によると、家では出演作をテレビで見ながらセリフや言い回しを声に出して確かめ、衣装や動きも「今までにない悪役のスタイル」を追求していたそうだ。所属事務所エ・ネスト社長の名塚新一朗さん(72)には「いい人はつまらない。悪役はバリエーションをつけて、自分にはないものを
 おなじみ悪役 人のため闘う
作っていける。と語っていた。
 俳優の小林稔侍さん(79)は撮影所で意気投合し、一緒に映画「E・T」を見に行って親しくなった。といっても、所用で電話したついでに互いの近況を離す程度。主演ドラマ出てもらうと、いつも一歩引いていたという。「役柄と違い、シャイで、踏み込んでこない。人との接し方に味わいがあつた時代の人でした。寂しいですね」
 後半生はさらに裏方へ回る。日本俳優連合の役員となり、二次利用された映画に対し、俳優が報酬を請求できるように取り組んだ。「出演はた映画がテレビでやってるのに、報酬がないから治療費も出せない」と嘆く俳優仲間でいたためだ。
 副理事長まで出世しても派閥は作らず、最晩年のかたわらには小柄なトイプードルが寄り添っていた。永遠の適役は人のために闘い、静かに世を辞した。
         (井上秀樹)
  1月31日死去 (肝細胞がん)    75歳 
 令和2年(2020.5.19日)    朝日新聞夕刊