No1 No2 No3  No4 C・W・ニコル・佐々部、清・内田、勝正 井波律子・犬丸一郎・崔書勉 志賀廣太郎・菊畑茂久馬・皆川達夫 
田畑精・伊地智啓・奥野正男 加藤茂雄・かつお きんや・白善燁 由井晶子・森崎東・坪山豊 西川善文・サムソン 宮本・源了園 
 夜回りの取材で自宅にうかがうと、庭にひときわ大きな鉢植えがあった。「月下美人が好きでね」と教えてくれた。ひと晩だけ白い大輪を咲かせる花をこよなく愛した。
 口をへの字に曲げて、眼光も鋭い。昔は「机を持って出ていけ」と怒鳴る上司だつたらしい。一見とっつきにくい印象だが、記者からすると、率直に語り口が魅力だった。
 銀行の不良債権問題が再燃した十数年前、平日は都心のマンション、週末は郊外の自宅に押し掛けて取材した。
 旧JRと旧三菱東京の両金融グループの統合に三井住友が「待った」をかけた最中のある晩、黒塗りの車から降り立った西川さんは深酔いしていた。
 詰めかけた記者たちに「UFJを買収する」と口にしたときだった。突然気分が悪くなった様子で、いったん立ち
 
 住友銀行とさくら銀行の合併により誕生した、三井住友銀行の初代頭取に就いた西川善文さん
=2003年
去った。夜回りはお開きと4思ったら、戻ってきて応じてくれた。
 会食で出たオイスターソースにあたったようだ。珍しい深酔いは何かを抱えていたのか、この後始まった金融庁検査で巨額の赤字を計上し、頭取を退任。旧UJF争奪戦も幻に終わる。
 銀行の裏の表も知りつくし
、安宅産業やイトマンなど不良債権になった企業の解体を手がける旧住友銀行の融資第3部を率いた。財閥系の枠を超え、旧さくら銀行との合併も仕かけた。
 「最悪なのは完璧主義にこだわり、決断が遅れること」と語っていた。政治に翻弄され辞任した政治郵政の初代社長を引き受けたのも「まず前
へ進む」という姿勢を貫いたのだろう。
 頭取時代に酒席に誘っていただいたとき、1人で現れた。夜回りから逃げられませんね、と水を向けると、「新聞記者になりたかったんだ。でも銀行の内定が早く出てね」と笑った。杯を持つてが少し震えていたのを覚えている。きしゃな
 















西川善文さん


 
元三井住友銀行頭取・元日本郵政社長
 







銀行の裏も表も抱え「前へ」
  
 体にのしかかる重圧を思った。
 「不良債権と寝た男」「けんか屋善文」・・・・・。回想録の「ラストバンカー」以外にも様々な呼び名がついた。際立つ個性で顔がすぐ浮かぶ経営者だった。
 7年前に妻に先立たれ、体調を崩していた。今の奈良県橿原市出身で阪神タイガースの大ファン。2年前、会長だつた故星野仙一監督の後援会が解散を決めた総会にも姿はなかった。
 ひと夜限りの月下美人に、世のうつろいやすさを重ねていたのだろうか。今ごろは夫婦一緒にめでているに違いない。
   (編集委員・堀竜俊材)
 9月11日死去  老衰()   82歳
 「生前葬」公演で巨大パンダと入場する、サムソン宮本さん(右)=2019年、根室市観光協会提供  アマチュアの愛好団体
「新根室プロレス」代表
サムソン 宮本さん
 身長3メートルの巨大パンダレスラー、「アンドレゾ・ジャイアントパンダ」を世に送り出し、プロレス参戦からテレビ、イベントへの出演まで、全国から引っ張りだこの人気者へと育てた。
 北海道根室市で、仲間とネットオークションで中古のリングを100万円で買い、2006年にアマチュウアの団体「新根室プロレス」をつくった。「ハルク豊満」「ロス三浦」・・。ユニークな名前のレスラーやレフリー25人の本業はコンブ漁師、牧場作業員、スシ職人など様々だ。
 「無理しない、ケガしない、明日も仕事」をモットーに、地元の神社境内での年一度の公演を主な舞台に活躍してきた。
「巨大パンダ」生み飾った花道
  17年9月、「でかくて、かわいい」巨大パンダのレスラーを自ら考案する。デビュー戦の様子がSNSに流れると、たちまち人気に火がついた。
 根室市で玩具店を経営する家に生まれ、プロレスを一家で見て育った。「本来は引っ込み思案。それが高校の学校祭で先生に審査員を務めるのど自慢を企画したら、大受け。以後、見せ物の企画にはまったようです」玩具店を一緒に営んだ弟で、レスラー「おっさんダイガ―」としても活躍してきた宮本賢司さん(47)は言う。
 公演の筋書きなども考えたきた。だが、巨大パンダ―登場の少し前、ごくまれながんの平滑筋肉腫に侵されたことがわかる。
 「好きなプロレスに打ち込み、難病と闘う元気を得ていた」と賢司さん。パンダらと全国を回りつつ、自分の「生前葬」公演も含め、綿密な活動計画をつくった。代表の病気を受け、新根室プロレスは昨年末での解散を決めたが、花道としての東京公演も現実させた。
 葬儀の筋書も描いていた。コロナ過でパンダよる追悼試合は見送られたが、10カウントとリングコールの響く式場に紙テープが舞った。
      (大野正美)
 9月11日死去 (平滑筋肉腫)  本名・宮本隆志 55歳
 日本思想史研究家 源 了圓さん 
  「義理と人情」を出したころの源 了圓さん。「もっといろいろな角度からの日本文化論が出てよいはず」と話していた=1969年 
 独自の視点から日本的心情に斬り込んだ。高い評価を受けたのは「義理人情」の世界についての論考である。演歌や任侠映画のイメージが強く。その世界は「封建的」に批判されたが、他者への思いやりや寛容の精神を育んだ面もあったと唱えた。
 「情けあるがゆえに、人は人。情けは『心の花』。義理人情のいい面、悪い面をふるいにかけつつ考えることがたいせつではないか」。そう言っていた。
 熊本県生まれ、子どものころから、「自分とは何者か」と考えていたという。しだいに忍び寄ってきた軍靴の音。心の不安や虚無感を打ち消そうと哲学を学ぶことを決意し、京都帝大哲学科に進む、戦争に駆り出された。
 舞台があった鹿児島県でのこと、海岸線を見回りしていたとき、頭上を巨大ものが横切った。「バリ、バリ、バリ」という音、砂塵が突然、舞い上がった。機銃掃射だった。
政治の季節に説いた義理人情
 青空に吸い込まれていく戦闘機の機影。生きて助かったのは偶然か必然か。脳裏に浮かんだのはニーチェが唱え「運命愛」という言葉だった。「今」を懸命に生きようと決意。敗戦後は大学に戻り、猛勉強の日々。寝不足のあまり階段を踏み外し、転げ落ちてしまったこともあったという。
 日本女子大、東北大、国際基督教大の教授を歴任し。思案の確かさは定評があり、「徳川思想小史」「実学思想の系譜」など多くの著作を残した。学生運動が激しかった69年には「義理と人情」を出した。国立歴史民俗博物館名誉教授(歴史学)の高橋敏さん(80)は語る。
 「体制から排除さけたり、あえて組織から離脱したりした人たちの生き方には無視できない重みがある。あの時代そんなことも考えていたのではないか」
 日本思想史界の大樹。天に向かって伸び、旅立った。
         (編集委員・小泉信二)
  9月10日死去  (うっ血性心不全)  100歳