No  降旗康夫・北島政樹・渕上太郎 小池一夫・李姫鎬・加藤光峰 田辺聖子・原広司・フランコ、ゼフィレッリ 沈、壽官・岩橋明子・菅谷文則 
高嶋忠夫・小柴和正・ジョアン・   竹村健一・伊藤光夫・李鵬  須田春海・天野之弥・鄭香均  柴田侑弘 ・横山たかし・西村義弘 
 「あこがれの柴田作品」。宝塚歌劇のスターたちを取材していると、よく耳にする言葉だ。
 万葉の世界を舞台にした「あかねさす紫の花」、1920年代のパリですれ違う男女の恋物語「琥珀色の雨にぬれて」・・・手がけたのは66作。男と女の濃密な情を美しいセリフで紡いだ作品は、スターにもファンにも愛され、再演を重ねる。
 大阪府出身。芝居好きの母親の影響もあり、脚本家を志して大学卒業後に上京した。偶然目にした宝塚歌劇団の脚本募集で入選し、58年に歌劇団に入った。演出家としてめざしたのは「人間が息づく舞台」た゜
 緑の深い元月組トップスター剣幸さんは「一人ひとりを常に愛情をもって見て下さり、役で最大限伸ばそうとしてして下さった」と話す。演出は緻密で粘り強









柴田 侑宏さん
 
宝塚歌劇団演出家
 失明後も「あこがれ」生み続け
 い。「『(役の)この色をとことん出してくれ』と言われました」。剣さんのさよなら公演「川霧の橋」(90年)は、山本周五郎作品をもとに、江戸の下町に生きる若者が大火に翻弄される姿を描いた。「人と人との愛や情を色濃く描く、先生らしい作品」と剣山は言う。
  しかし、両目を患い、その頃には徐々に資力が衰えていた。失明に至る心境を「見えない演出家というナンセンスな存在になつた時、生き方の問題となつた」と後につづる。それでも、舞台への思いは燃え続けた。
 口述筆記で脚本作りを始めたのは。杜けあきさんのサヨナラ
 公演「忠臣蔵」(92年)から。出演者の立ち位置はどこか、頭の中に常に絵を描き、想像して書いた。「見えなくても、セリフを語る術を伝えられる」と稽古場に通った。
 柴田作品の演出・振り付けを98年から手がける謝珠栄さんは「舞台を作り上げることへの
 10年ぶりとなる新作の執筆中、尽きない意欲を語っていた柴田郁宏さん。葬儀は遺影となつた=2014年、兵庫県宝塚市
  情熱は、こちらの胸が詰まるほど強かった。自分の人生で感じたものを持つと伝えたい、と五感をとぎすまされていた」と語る。元星組トップスターの北翔海莉さんは「言葉の音色で色っぽさは変わるんだと、先生に教えてもらいました」。視力を失った後に入団したスターたちの顔は見たことがなくても、「色がよくなった」「匂い立つような男役を演じて下さい」と励ました。
 葬儀には、正装である緑のはかま姿のスターや多くのOGが参列した。「先生」との最期の別れのとき、誰からか「すみれの花咲く頃」を口ずさみ始め、やがて静かに合唱になった。
       (尾崎千裕)
   7月19日死去 (死因非公開)   87歳
                   漫才師 横山 たかしさん 
 「昭和41年 東大入学後、マサチューセッツへ留学」
 「昭和48年 ロールリイスで大阪市内をドライブ」
 約700人が集まった偲ぶ会で配られた年表は大ホラだられだつた。ロールスロイスは荷台に「外車」と書いた自転車のこと。「大金持ちのおぼっちゃま」のキャラクターで愛された。
 愛媛県出身。大阪の芸能養成所で横山ひろしそん(72)とコンビを組み、1968年に横山やすしに弟子入りした。激情型のやすしに怒られまくった修業生活か゜「すまりのぁ~」「つらいのぁ~」のギャグにつながった。初舞台は大阪・新世界の劇場。ウケなかった。「やめ-コラ、おのれら」と柄の悪い客にヤジられる日々が
ホラで愛された「ぼっちゃま」 
愛用の赤いハンカチを口にする横山たかしさん(左)と横山ひろしさん=松竹芸能提供 理屈抜きで笑える漫才の芸風を祖立てた。
 大阪・道頓堀の角座にも出演できるようになったある時、「藤圭子いてますな。実はわしの妹ですねん」と言うと大ウケ。味をしめ「田中角栄がわしのおやじやねん」「通天閣はわしが建てたんや」と夢のあるホラを吹き、漫才のスタイルとして定着する。平成に入ると、金色のスーツをあつらえて「38億8千万円」と豪語。1991年に上方漫才大賞に輝いた。
 私生活は寂しがり屋で人に囲まれるのが好きだった。繁華街を飲み歩くと、「ぼっちゃま」と声をかけられた。飲み代を気前よく払ってくれる人も多く、浮いた金を若手芸人にお年玉や小遣いとして渡した。おかげで楽屋の入口に行列ができることもあった。「お前はええ 松竹の太陽ぞ」とはげました。
 型破りだつた師匠の背中を見て育ち、昔ながらの芸人風情を受け継いだ。「名前より『ぼっちゃま』で徹芸人。寅さんみたいに愛されたい」と宏さんは言う。サラリーマン芸人とは違う懐の大きさで、筋金入りの浪花芸人として生き抜いた人生だつた。
        (土井恵里菜)
   6月月1日死去 (多臓器不全)   70歳 
        「焼き肉定食」考案者 西村 義博さん
    1968年、大阪市の中心部で焼き肉チェーン「大同門」を創業した。内臓を食べる「ホルモン焼き」はあったが、牛の赤身と言えばすき焼きやステーキが定番の時代。客が自分で赤みを焼いて食べるレストランは珍しかった。「新しくなければやる意味がない」が口癖だつた。
 新しい食べ方は受け入れられず、客はまばらたらつた。「一度食べてもらえさえすれば」と、日本人になじみ深い膜の内弁当の陽気に焼き肉と野菜、ご飯、ナムルを入れて出したのが「焼き肉定食」の始まりとされる。
 大阪で旅館を経営する家に生まれ、早稲田大学を卒業。京都大学で政治経済をおしえる講師になつた。父の死で家業を継いだ。
牛肉の敷居下げ 店で手軽に
創業当時から妻・菊枝さん(87)と二人三脚で経営してきた西村義博さん=1995年、大同門提供  も自死を考えた。高卒後上京、看護師、保健師資格を取り、88年に東京都初の外国籍保健師として採用された。
 94年春、仕事ぶりが評価され、上司の勧めもあって管理職試験を受けようとしたが、「当然の法理」を理由に阻まれた。「公権力の行使や公の意思形成」に関わる仕事に外国人は就けないという53年の内閣法制局見解を踏襲したものだつた。
 秋に提訴し、10年余りに及ぶ裁判は一審敗訴、二審勝訴をへて最高裁で逆転敗訴した。「職場に迷惑」「日本から消えろ」などの中傷の一方で、「足元の差別を見逃せない」と多くの自治体職員が駆けつけてくれた。
 「支えてくれたのは管理職とは無縁の生き方をあえて選んだ人たち。裁判の中で私自身の権威主義も払拭され、学んだものは大きい」と述懐している。
 定年退職後は「やっと自由になれた」とオペラ歌唱や海外旅行を楽しんでいた。激しい腰痛からがんが体中に広がっているのがわかつたのが今年6月。親友でカナダ在住の社会学者、鄭暎恵さん(59)に死の床から送ったメッセージには、「人が人として尊重される社会」に「生きたい」とあった。
          (本田雅和)
     令和元年6月29日死去 (がん)     69歳
  国会は衆議院と参議院の「二院制」を採る。法案なとを時間をかけて丁寧に議論し、多様な民意を反映させるため、その多様性を担保にするため、衆参の国会議員は別々の選挙制度で選ばれている。
 衆議院の人気は4年。任期途中で衆院が解散されることが多く、全員が「総選挙」で一度に選ばれる。
 選挙制度は「小選挙区比例代表並立制」というもので、一つの都道府県を複数に分けて「小選挙区」が全国に289区あり、それぞれ1人が当選する。この小選挙区に、政党ごとに議席を配分する比例代表が加わり、定数は465議席だ。
 参議院に比べ人気が短く、解散もあることから、より国民の民意を反映するとされ、衆院選は「政権選択の選挙」とも言われる。
 一方、参議院の任期は6年、定数は248人だが、3年ごと
 
に半数が改選される。選挙制度は「選挙区制」と「比例代表制」があり、選挙区制は都道府県をへーすに45に分け、人口に応じて1~6人が当選するシステムだ。
 複数区を組み込んだ選挙制度のため、衆院選より「死票」が少なく、多元的な民意が反映されると言われる。任期が長くて解散がなく、被選挙権も30歳以上(衆院は20歳以上)であるため、経験豊かな人が国政課題に中長期的に取り組める。衆院の行き過ぎを抑制し、衆院を補充する良識の府と言われるゆえんだ
 こうした選挙制度は時代の変化や与野党の思惑を反映しつつ、変遷してきた。
 衆院選は1996年から同じ選挙区から複数の議員を当選させる知友選挙区制に替わって小選挙区制が導入された。政権交代可能な二大政党制が模索された結果で、2009年に民主党が政権交代を実現させた。
 一方、参院でも選挙制度の試行錯誤が続いてきた。
 16年には、いっびょの格差是正のため、有権者が少ない県の選挙区を合区し、「鳥取・島根」「徳島・高知」が一つの選挙区になった。
 ただ、合区により、立候補できない議員が生まれたため、自民党は比例代表に各党が優先的にとうせんさせる「特定枠」の導入を主導。今年か7月の参院選から新たな制度として採用された。
 野党側は「自民党ものための改正」と猛反対したが、選挙制度が与党の都合を反映して変わることは珍しくない。01年に参院選の比例代表に導入された。個人名得票が多い順に当選が決まる「非拘束名簿式」は、名簿順位を決めないことで選挙戦の最後まで組織をフル回転させる・・という自民党側のお思惑があったとれれる。
 ご都合主義にも映るこうした選挙制度改革は有権者の政治不信の一因になっているとの指摘もある。選挙運動にインターネットを使用できる「ネツト選挙」が解禁され、選挙権年齢が18歳にまで引き下げられたが、濃く夏の参院選の頭皮擁立は48.80%で95年以来の低さだ。選挙は民主主義の土台だ。多様な民意が反映され、有権者が納得できる制度運用が求められる。
    =おわり(菊池直己)
 令和元年9月10日(火)  朝日新聞夕刊