No1  No2  吉田晴乃・程一彦・池田欣一  三井義弘・長谷川堯・宮崎康  野坂操寿・長谷川龍生・イマニュエル・ウォーラーステイン  
         
 

筝奏者



野坂操寿さん
 未知の音へ変わり続ける喜び
   新たな響きを見つけると、はやる心を隠せず少女のようにはしゃいだ。その屈託のない表情から、伝統と革新の折り合いをつける壮絶な葛藤をうかがい知ることは難しかった。
 母は宮城道雄に師事と初代野坂操寿。東京芸大に進み、希代の名手に。旧来の十三弦に充足せず、より豊かな響きをと二十弦筝を考案し、欧米で20回を超えるソロ公演を成功させた。
 しかし、世界から脚光を浴びるほどに、徐々に自らを見失い始める。「華やかな技巧を披露して、喝采を浴びて、こんなことに何の意味があるのか」
 約3年の自問にのち、吹っ切れる。使命感にとらわれず、まずはやりたいことをやってみよう。1986年、小劇場「渋谷ジァン・ジァン」で復帰。民族音楽、ジャズ、ポップス。道の響きへと自らを開き始めた。
 5年後、新たな表現領域を模索し、二十五弦筝を開発する。助力を惜しまなかったが
 ユニツト「変弦自在」を組んだ沢井一惠さん(右)と。野坂操寿さんにとつて、いろんな音楽家と手を携えて筝の可能性を広げることが晩年の悦びとなつた=2012年
   8月27日死去   (急性骨髄白血病)  本名・野坂恵子  81歳
「ゴジラ」の作曲家。伊福部愛昭だった。アイヌ文化とアマチュアの人々への敬意を礎にした独歩の巨人は、作曲中の楽譜を床に広げ、野坂さんに向かって静かに言った。「ここから音を削いで、削ぎ抜いた世界から響いてくる音に耳を傾けるんです」
 音を削ぐ。この矜持に打ちのめされた。その生き方を体現する真実の同志にその後、出会うことになる。沢井一惠さん(78)。夫の故沢井忠夫とともに邦楽の領域を押し広げ、坂本龍一さんら異分
野の才人と無邪気に心を交わすこの人もまた、軽やかなパイオニアだつた。
 天性の華で酔わせる野坂さんと、一音ごとに思索しては垣根を超える沢井さん、対照的な個性が2010年。山荘での企画公演で思いがけなく響き合う。翌年、「変弦自在」なるニットを結成、新作依嘱と初演に精力を傾けた。「筝なんて見たこともないという人にこそ曲を書いてもらいたい。私自身が気づいない。この楽器のポテンシャル
に驚いたから」
 今年に入って病が発覚。しかし、病床でも変わらぬ好奇心の純粋さと精神の明朗さが「きっと死の影を払う」と沢井さんは信じていた。「無音の世界にまで一緒に旅ができる、人生で初めて本物の友達でした」
 他者の世界を受け入れ、自ら変わり続けることが喜びとなつた。海外で活躍する後進も育てた。その晩年はかつてなく解き放たれた、人生で最も豊かで幸福な日々だったに違いない。
   (編集委員・吉田純子)
        詩人  長谷川 龍生さん
 壁はもちろん、机の周りも本だらけ。穴蔵のような半地下の自室から、詩人はその日も、静かに世の中を見つめていた。
 5年前の昼下がり、東京都内に住む長谷川さんのもとを訪ねた。人生の歩み、詩と文字への想いのまだ元気なうちに聞いておきたいという、ある意味では無礼な思惑での訪問だつたが、生い立ちから文学論まで、噺は数時間に及んだ。
 大阪で育ち、10代で終戦を迎えた。大阪の社会は詩人、小野十三郎に詩を教わり、20代後半で詩集「パウロウの鐘」(1957年)を発表した。飛行する鶴の群れと人間の意識化の営みを重ねた表題作は、ダイナミックで戦後詩史に刻まれる。
 高見順賞を受けた詩集「詩的生活」(78)は、当時人気の絶頂にあった本塁打王をモチーフに採った「王貞治が6番を打つ日」などを収録。新鮮で現代的な広がりを印象づけ
社会と文学の接点 探り続け
た。詩の枠組みに収まらない才人でもあった。安倍公房らとともに「記録芸術の会」をつくり、ラジオドラマなどを執筆。映画評や演劇評も多く手がけた。
 91年には、大阪文学学校(大阪市)の校長を小野十三郎から引きついだ。芥田賞作家の玄月さん、直木賞作家の朝井まかてさんを世に送ったが、「世の流れは速い、受賞は喜ばしいが、そんなことはすぐに忘れ去られていく」。地に足をつけて文学と向き合う姿勢を説き続けた。
 学校を運営する大阪文学協会の代表理事、葉山郁生さん(70)は「時代の危機のようなものに常に敏感だつた」と評する。
 穴蔵のような書斎を訪ねたあの日も、現代の文学に厳しいまなざしを向けた。「若い人たちは、実体のないものを見過ぎているんじゃないか」「足元の社会に関心を払うことをしていない」。社会と文学との接点を探り続けた表現者がまた一人、世を去った。     (柏崎歓)
   8月20日死去 (肺炎)  本名・名谷竜生  91歳  11月23日に大阪文学学校で忍の会
 世界システム論を提唱した米社会学者 イマニュエル・ウォーラーステインさん 
  巨視的な視点で資本主義を見据え、近代世界を一つのシステムとしてとらえる。そんな「世界システム論」を唱えた碩学にインタビューしたのは2016年11月、トランプ氏が当選した米大統領の翌日だつた。
 これからの米国は、いや世界はいったい、どうなるのか。ほとんどパニック状態だつた私に、眉一つ動かさず説いた。
 「世界には多くな影響はない。米国のヘゲモニー(覇権)衰退は50年前から進んでいるのだから」。トランプ現象は廃れてゆく覇権国家の悪あがきに過ぎない、とこともなげに語るのを聞き、肩の力が抜けた。
 第2次大戦前のニューヨークでポーランド系ユダヤ人の家庭
目で見た世界 理論で束ねた
I・ウォーラーステインさん。取材に応じるためにニューヨーク支局まで来てくれた=2016年  に生まれた。コロンビア大での修士論文のテーマは、戦後の米政界を揺るがした赤狩り、マッカーシズムだつた。その後はアフリカ研究に転じ、西欧に植民地化された国々を足で回った経験が、大輪となって開花する。
 資本主義はオランダ、英国、米国という順に覇権国家を生み、この世界システムによつて途上国は収奪されてきた。「中心―周縁」という概念で西欧中心主義を相対化する理論は日本でも刮目をもって迎えられた。
 社会学者の組織化にも尽力した。国際社会学長だつた1990年代、同会理事として接した矢沢修次郎・一橋代名誉教授(76)はふり返る。「書斎に座って理論を組み上げるのではなく、自分の目で世界をとらえたうえで知的創造を達成した」
 主著「近代世界システム」は未完に終わったが、その知的水脈は広大な流域に広がる。グローバル化が生み出す問題を前に国民国家が立ちつくむ今こそ、近代世界を一つの理論で束ねる視座は大きな価値を持つ。
 「どんなに不透明な状況が続くとも、前向きに未来を求め続けなければ」。インタビューで聞いた言葉を胸に刻んでいる。
   (編集委員・真鍋弘樹)
  8月31日死去 (感染症)   88歳 
 令和元年(2019.10.10日)    朝日新聞夕刊