カッキンカイロ               
   
  子どもの頃に使っていた、と懐かしかる人は多いかもしれない。一見大きな金属ライターにも見えるが、実はカイロだ。
 ピカピカの真鍮製の容器に入れた燃料のベンジンが気化ガスとなり、火口のプラチナ(白金)に触れると発熱する仕組みなので、その名も「ハクキンカイロ」。標準サイズは3850円(税込み)。最初にライターなどの火が必要で、燃料に注ぐ手間もいる。だが、その一手間が楽しく、袋に入れないと持ちないほどの熱さが24時間持続するパワーもあり、私もキャンプで愛用している。
 祖父が1923年に大阪で発明し、もうすぐ100周年を迎えます」商品名と同じハクキンカイロ(大阪市西区)の的場社長(74)が説明した。大阪・船場の羅紗(毛織物)問屋の番頭だつた的場仁市は20年ごろ、仕入れ先の英国・ロンドンの街角で、かわつたライターに目を奪われた。ふたを開けると自然に赤くなり、手に取ると温かい。  
  「ハクキンカイロの触媒技術は、実はいろいろな場所で使われています」と的場社長。機密契約があって多くは明らかに出来ないが、戦時中には戦闘機のエンジンを温める部品に使われた。現在も火災報知器の点検を道具などに生かされている。
 驚いたのは、五輪の聖火をギリシャから空輸するのに使われていたことだ。64年の東京五輪ではサブ、98年の長野五輪ではメインで活躍した。来年の東京五輪はどうなるのか。
 大会組織委員会の広報担当は「ランタンを座席に固定して運ぶ予定だが、まだ変わるかも」。メインの輸送器にはならないようだが、可能性の火が完全に消えたわけではなさそうだ。今回の東京五輪で、ぜひ復活を遂げてもらいたい。             (渡義人)    「これはカイロになるのでは?」帰国後、家の近くに掘っ立て小屋を建て、研究に没頭。3年おまりにわたる苦労の末、ハクキンカイロを完成させる。的場社長は完成直後の祖父の興奮を祖母から聞いていた。
 「お昼を届けに行くと、祖父が急に小屋から飛び出し、温かくなった容器を握らせてきた。路上で手を取っり合って喜び合い、気がつくと辺りは暗くなっていたそうです」
 ただ、当時は桐などの灰を練って燃やす「カイロ灰」が定番。最初はあまり売れなかった。新聞に広告を出し、薬局や百貨店に販売を広げると知名度がアップした。寒冷地で戦う軍隊の慰問品としても人気に、朝鮮戦争で米軍が使ったり、南極観測隊が携行したりして、ピーク時の77年には年間120万個が売れた。
 ところが、78年ころに使い捨てカイロが登場し、一気に苦境に立たされる。売り上げは右肩下がりで、悪い時には年間数万個待て落ち込んだ。一時は多角化を図るため、会社名から「回路」の文字を外した。
 だが、21世紀になってエコ意識が高まると、海外で需要が増えた。口コミで若い人にも人気が出て、年間売り上げは30万個まで回復、会社名も元に戻した。昭和初期から使っていたが、しばらく外箱の絵柄から消えていた「おじさんマーク」も、レトロさを強調しようと復活させた。   
令和元年(2019.12.8日)(日)  朝日新聞夕刊より