今夏のパラリンピックの閉会式で、リオデジャネイロ(ブラジル)のマラカンナ競技場を埋めた観衆を釘付けにした。8万人のまなざしが注がれている中、LED電球をはめ込んだ特注の義足をつけたダンサー大前光市(37)は鍛え上げた体をしならせ、ソロで踊った。その1分44秒が人生を変えた。
 東京大会へ引き継ぐセレモニーに登場した。出番は午後9時過ぎ。闇夜にライトアップされた競技場が浮かび上がり。「会場が一つのプラネタリウムのようだつた」。1964年の東京大会の映像が流れ、車いすのダンサーらと2020年の東京五輪をPRした。
 帰国後、仕事が激増した。講演
も次々舞い込み、一躍、時の人に。「僕がたくさん踊り、多くの人の目に触れることで、心のバリアフリーにつなげたい」
 クラシックバレエ―を学んでいた。大阪芸術大学を卒業後、フリーで活動。踊りに命がかけていた23歳のとき、大阪市内で交通事故に遭う。左足のひざから下を失い、義足の生活になる。「これを自分の特性として武器にすれば可能性は広がるはず」と、いまなら思える。しかしも開き直りともいえる境地に至るまで5年かかった。
 「分かりやすいことをしないと受けないし、うまくなければ痛々しいだけ。恥ずかしがらず、自らをキャラ化できれば魅力に変わる」
 踊るとき、義足をつけた大前の左足は秘儀足に比べてかなり短い。「バランスがとりやすいので、あえて短くしている」と明かす。義足の長さも種類も、年月を重ねるなかで見つけた自分のベストコンディションだ。
 大阪市で暮らしながら、全国を飛び回る。23日、大阪府岸和田市の浪切ホールに立つ。泉州地区のバレエ団体で学ぶ子どもたちと「眠れる森の美女」の抜粋版を踊る。
 演じるのは悪の精カラボス。個性が際立つ邪悪な役を創作したコンテンポリーダンスで表現する。「僕の姿に最初は違和感があるでしょうが、アートしいう大きなくくりの中でとらえ、『普通なんだ』と思ってほしい」
 午後3時45分開演。2500円。演奏は相愛大学音楽部「相愛フィルハーモニー」指揮は河崎聰。ホール
(072.439.4915)(谷口晃子)
 羽田圭介の芥田川賞受賞作をドラマ化した。「スクラツプ・アンド・ヒセルド」が、NHK総合で17日午後9時から放送される。生きる意味を見いだせずもがく青年が、祖父を世話するなかで何かを見つけ、一夫踏み出す姿を描く。 28歳で無職の健斗(柄本佑)は就職試験に落ち続け。無為な日々を送っている。「死んだ方がよか」が口癖の祖父(山谷初男)と同居する健斗は、祖父を過剰に介護して体を弱らせ、安らかに死なせてあげようと決意する。
 死んだ方がいいと繰り返す祖父に、健斗は自らを重ねる。制作統括の谷口卓敬チーフ・プロジューサーは、「共感してもらえるよう、主人公の閉塞感を丁寧に描いた」と語る。ゆがんだ正義感にとりつかれた健斗の狂気から一転、クライマックスには鬱積した感情が浄化されるような場面が展開される。
 谷口チーフ・プロデューサーは「一度に答えは出さなくても、何か一つをたぐりよせることはできるんじゃないか。そんなメッセージを原作から感じ、ドラマに込めた」と話している。
         (松本紗知) 青年の閉塞感 丁寧に
NHK「 スクラップ・アンド・ビルド」
             
   収益は熊本へ
 能楽協会大坂支部が「みおつくしチャリティー能」を23日、大阪市中央区の大槻能楽堂で開く。毎年年末に開いている公演で、昨年のまでの「歳末助け合い協賛能」から名称を改めた。収益は熊本地震の被災地に寄付するという。
 能「源氏供養」「富士太鼓」や狂言「盆山」「鴈礫」ね仕舞などバラエティーに富んだ構成で、大坂支部に所属する各流派が参加する。狂言大蔵流の善竹隆平は「初めての方でもわかりやすい曲を心がけた」と話す。
 2部制で午前10時と午後3時開演。前売り一般3千円。大阪支(06.6761.8055)
    
  ピアニストのラン・ランが大阪国際フェスティバルに登場して、リサイタルを行った。前半がチャイコフスキー「四季」、後半がショパンのスケルツォ4曲というプログラム(11月29日、大阪・フェスティバルホール)。
 全身の筋肉がしなやかで柔らかく、命令系統がきれいに分離していて、処理スピードが異常に速い。これらの点では、ラン・ランは文句なく時代を画する存在だ。ただ作品の文脈にあまりに無頓着で無邪気すぎる、というのが今までの評価だつた。
 前半は意外におとなしく始まる。チャイコフスキーが12カ月雑誌に連載した、とう作品のコンセプトは現代の我々にもわかりやすく、ラン・ランの無邪気なアプローチも的を射ている。細部まで気持ち良くピアノが鳴って、チャイコフスキーの描いたミニアチュ
森口ミツル氏撮影大阪
国際フェスティバル提供
ールが堪能でき る。ただ、客席の反応は、いくぶん戸惑る。ただ、客席の反応は、いくぶん戸惑い気味だった。
 後半になると、打って変わってラン・ランらしさが全開に。鍵盤から指先が垂直に跳ね上がったり、腕が水平に引き払われたり、彼独自の決め技が次々と繰り出される
 そもそもスケルツォ第1番は聴いたこともないような速さ。すごいなあ、とは思うが、あまりに早すぎて粒が聞こえず、本当はこの音の迸流の向こうにあるはずの体のうねりがない。第2番の中間部で、四つの線が見事に
 分離して聞こえたのは面白かった。客席はこれでこそラン・ランと言わんばかりの盛り上がり。
 その陽性のオーラのゆえに、彼を憎む気にはなれないけれど、それにしてもアンコールのファリャ「火祭りの踊り」は、やっぱりスペインのロマンの妖術をえない。本当はラン・ランの性向と、ロマの芸能とはそんなに遠くないはずなのに。
      (伊東信弘・音楽評論家)