No1  No2  No3  No4 No5  No6     No7 No8  No9   
 少女の桑摘み姿に心を奪われてしまつた男。さあ大変。かいこも繭づくりの段階に入ってしまうと、あの子も外へ桑摘みにでることもなくなってしきいます。
 まるであの子もかいこと同じ、繭ごもりするように、母親の下ですっかり監視に包まれしまつて、男がしのび込むすきは
、どこにもない―。
 男もすっかりふさぎ込んで、「気持ちが一向に晴れない。あ―、オレも繭ごもりみたいだ」と、嘆くので  薄れる雲 恋人の息に見立てて
す。
 でも、繭ごもりをしたのが女の子なら、今や彼女はきらきらと光る美しい繭の中で限りなく体を透明にしながら、絹糸を吐きつづけているはがです。
 それは愛されることを知ったある子の、美しい変身かもしれません。一吐く一吐く、愛という美しい繭を身にまといつづけているのでしよか。
 愛は焦ってはいけませんね。
(富山・高志の国文学館長中西進)
   日本最古のため池とされる大阪狭山市の狭山池で、江戸時代にまぼろしにおわった「池ざらえ」計画があった。池の管理者が残した古文書から計画の実態を探る特別公開「狭山池 幻の池ざらえ―佐山藩 とらぬ狸の河残用―」が、府立狭山池博物館(同市)で開かれている。30日まで
 狭山池は、飛鳥時代に造られた約36万平方メートルのため池。古事記や日本書記などにも登場し、東大寺の大仏造営に関わった僧行基や、豊臣家は以下の武将、片桐且元らによって何度も回収されてきた。
 だが、江戸時代に池の上流で新田開発が盛んになると、池底に土砂がたまり、水位が
 あがって水害が頻発するようになつた。土砂を取り除く「池ざらえ」が必要だが、大きな労力と費用がかかるため堤防を高くすることなどで対応、大阪府は18988年から始めた「平成の大改修」で池ざらえをするまで、一度も行わなかった。
 ただ、江戸時代に一度だけ計画され、失敗したことは知られていたが、きんねん、池を管理する池守の田中家に伝わる文書を読み解く解くことで、計画の実態がわかってきた。
 担当した中山潔学芸員によるさ幕府が支配したが、1721年に地元の佐山藩に支配権が移された.佐山藩は水害の抜本的解決するため、池ざ
  江戸時代の実態示す古文書 地元博物館で   30日まで
らえで出た土砂を使って池の南側に新田を開発する。3年がかりで、のべ18万人以上がかかわる巨大プロジェクトだった。
 費用は摂津、河内、和泉の周辺三カ国で負担するが、佐山藩は新田や池の下流にある幕府支配の土地を預かり、藩の収入を増やすことももくろんだ。地元の教育人らも動員して調査や根回しを進め、1748年に幕府へ計画の許可を願い出た。
 さころが、そのさなかに大雨で池から流れ出ている川が決壊。大規模な改修工事が必要になって池ざらえどころではなくり、支配権も幕府に戻すことになってしまい、計画は失敗した。
 特別公開では、工事の割り振りを記した計画図など約50点を展示。中山さんは「200年以上前にこれだけの計画が考えられていただけでなく、背景に様々な思惑があり、人間くささも見えるところが面白い」と話す。
 入館無料。月曜休館。問い合わせ、同館(072.367.8891)へ。
         (渡義人) 
 (令和)2019.6.20日(木)   朝日新聞夕刊