寂聴・語る 女流作家 ふるさとの夕暮  暑い夏  怖れるもの  長生きの余徳  二つの誕生日  きさらぎは凶 
 コロナ過のさなか  白寿の春に 書き通した百年           
            61 書き通した「百年」
 満九十六歳の誕生日をあす迎えてしまう。
 数えなら、九十九歳、白寿の祝いということであろう。これまでの例なら、昨日あたりから、お祝いの花が全国から届き、うちじゅう、玄関から廊下という廊下ののすみずみまで、花が並び、花屋を三軒くらい出来そうになるが、さすがに今年は、数える程しか花も届かないし、お祝いのカードもない。
 生きている間に、こんな誕生日を迎えることがあろうなどとは、夢にも想像したことがなかった。
 コロナ騒ぎで、国中、ひっそりと蟄居生活を強いられているせいで、仕事の電話も、メールも、鳴りをひそめている。
 こんな時こそ、かかってきた長電話の好きだつた友人も、さっさとあの世に去っていて、あちらからは音沙汰もない
 法話も写経も、雀庵の行事は、すべて休みとしているので、木の扉を叩いて訪れる人もなくなった
 一年で一番美しいと、一人で想いこんでいる五月の寂庵の庭は、新緑に掩われて、来る日も来る日も、まばゆいほど光り輝いている。

   ◆    ◆    ◆

 出家したのが五十一歳だから、すでに四十七年もの歳月が過ぎ去っている。
 十一月に中尊寺で剃髪してもらつて、すぐに比叡山へ登り、行院になげこまれて、息子のような若い行院生と二カ月の行をして、その間に建ててもらつたこの寂庵に移ったのてあった。
 造成地で、草一本生えていなかった土地に、ぽつんと建った庵に、はじめて寝た夜は、故郷の徳島から、たつたひとりの肉親の姉が来てくれて、二人で眠った。
 母は防空壕で焼け死んでいたし、父もその跡を追うように早々と
 九十代刻んだ六十回 感謝
死んでいた。
 「ふたりが生きていたら、どんなに安心しただろう」
 その姉も、私の出家を誰よりも喜んでくれた末、ガンにかかり、早々と両親の跡を追った。

    ◆   ◆   ◆

 四歳で私に捨てられ育った娘が、七十六歳になって、ついこの間、東京から久々に電話をかけてきた。
 「母の日ですよ、電話しましたからね」
 子を捨てしわれに母の日喪のごとく
 という私の句を見たらしい娘が、毎年、笑いをふくんだ声で、東京からこの日、電話をくれる。
 一人のこの子を生んだばかりに、私には孫が二人、ひ孫が三人いる。どのひ孫も外国育ちで、英語しか話せない。私の文才を伝えた子は居そうにない。
 草一本なかった造成地に建てた寂庵の庭には、今や、うっそうとした木々に俺われ、森のようになってしまつた。
 その木のほとんどは、膝くらいの木をさげてきて、自分の好きな所に植えてくれた親しい人々の想い出の木である。私はその一人一人を覚えていて、木とその贈り主を忘れたことはない。
 それも、間もなく私が死ねば、誰もその関係を知らなくなるだろう。
 百年めに訪れてというコロナ厄病に身をひそめながら、葵祭が誕生日という私は、生きてきた百年近い日をしみじみふり返っている。
(令和2年)2020.5.14日(木)    朝日新聞朝刊