寂聴・語る 女流作家 ふるさとの夕暮  暑い夏  怖れるもの  長生きの余徳  二つの誕生日  きさらぎは凶 
 コロナ過のさなか  白寿の春に  書き通した百年  不自由な夏 無我夢中の九十八       
            64 無我夢中の九十八年
 長かった安倍政権から、すんなりその跡をついだ菅義偉首相の代に様変わりして、たちきち夏から秋へ移ってしまつた。
 長い間しがみついた総理の座を菅さんにゆずつて、表舞台から去った安倍さんは、居なくなると、まあ、あんな見栄のする首相よりは、在来の日本のどの首相よりもスタイルがよかった。世界の首相たちが舞台に一列に横並びになつた時など、どこの国にも見劣りのしないスマートさと上品さがあった。やっぱり一国の首相という立場は、国の看板のようなものた゜から、見た目もひきたつ方がいいに決まっている。それで頭が空っぽだと悲劇になるけど。

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 菅首相は立ち振る舞いもお行儀のいい紳士に見える。容貌も整っていて、品位もあり、立派な首相面をしている。
 うまくすべりだしたと思ったら、目指す社会像として「自助、共助、公助」を掲げ、聡明な女性た
ちから、コテンパンにやられてしまつた。今月六日(火)付けの朝日新聞朝刊オピニオン面の「耕論」という欄に、その女性たちの論が披露されている。
 一人は小島美里さんで、「『公助』の最高責任者でありながら、『まず自助』を掲げる菅首相に私は怒りを覚えます」と言われ、「『自立のための支援』を誰もが受けられる社会にして欲しい」と要望している。
 もう一人、経済評論家の勝間和代さんは力説する。個人が自助努力するからこそ、周囲も助けてくれるのだと。その一方で、菅首相が「自らの経験から『自助』を掲げたのでしょう」として、「そうならば自助が発揮できる環境づくりにいそしんで欲しい」と要求する。

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 今や九十八歳になった私は、長
 「自助」は友人の扶けあったから
い生涯をふりかえっても、いつも「自助」に無我夢中であつた。それを苦痛と思ってことはなかった
 文句の言いようのない家庭と、幼い子供を捨て、もっと自分の才能を活かす生活をしたいと、ふらちな夢に憧れ、家庭を飛び出した時、日ごろ私の甘かった両親は味方をしたくれると思ったのに、母は終戦を待たず、防空壕で焼け死んでおり、父からは「子どもを捨て勝つてな生き方を選ぶお前は今日から人非人になつたのだ。扶けるつもりはない」と、縁を切られた。
 あわてても後の祭りである。今更引き返しもならず、私は冬も厳寒の二月の朝、着のみ着のまま、オーバーも、マフラーも財布も夫にとりあげられ、線路つ゜たいに歩き出した。思えば私の「自助」の生き方の第一歩であった。
 それ以来、数人の友人の情けに扶けられ、「自助」そのものの生活を通してきた。思いがけない屈辱や、反感や避難の矢面に立たされてことも数えきれなかつたが、歯を喰いしばって、「自助」を貫いてきた。その長い歳月、国家や政府から「公助」を受けた覚えはない。
 九十八歳の現在でもまだ徹夜で原稿を書かせてもらえる「自助」の生活をつつけている。
 「公助」は今もあまりあてにはしていない。たぶん、このまま近き将来「ああ、面白い一生だつた!」と死ぬのである。
(令和2年)2020.10.8日)    朝日新聞