寂聴・語る 女流作家 ふるさとの夕暮  暑い夏    怖れるもの     
   48・女流作家の夫たち
 田辺聖子さんが亡くなって、とても淋しい。大阪は、聖子さんをはじめ、河野多恵子さん、山崎豊子さんという女流の優れた作家を産んでいる。三人とも日本の女流作家の中では格別、力量のある人たち。
 私は幸いなことに、三人といいつきあいをさせてもらった。三人よりも年長なのに、私一人が残ってしまつた。九十六歳の誕生日を超えてしまって、まだ、のこのこ生きているのが恥ずかしい気がする。
 三人の中で河野多恵子さんと一番縁が深く、もの書きはじめた最初からつきあい、彼女が亡くなるまでつきあつた。市川泰さんという画家と結婚して、子供は産まれなかったが、夫婦仲はよく、市川さんは河野さんの文学的才能をよく理解し認めていた。
   市川さんがアメリカに居を移したら、河野さんもそれを追って何年もアメリカ暮らしをして悔いはなかった。市川さんは亡くなるまで、「河野多恵子の夫」という感じが強かったが、市川さんの存在亡くしては河野多恵子の天分は開花できなかったと思う。
 山崎さんとは互いにその力量を認めあっていたけれど、深いつきあいはなかつた。ただし、山崎さんも私も新潮社の編集長の斎藤十一氏に世に出してもらった縁があり、斎藤氏のお葬式の時などは並んで座るだけで、お互いの心の中が判りあえる仲であつた。しかし、どういう結婚をされたかもよく知らないし、個人
 口癖は「田辺聖子は天才です!」
的な話などしたことはなかつた。

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 聖子さんとは、私の仏教の師になっていただいた今東光氏の八尾のお宅で、今氏のお誕生日会ではじめて逢った。芥川賞作家として有名になっていたが、体も小さく、その頃は地味な服装で目立たなかった。人の後ろにひっそりしてつつましく、後年の華やかな「おせいさん」の姿は想像出来なかった。
 歳月がたち、聖子さんと、大庭みな子さんと、私の三人で、新しく出来た女流文学賞(フェミナ賞)の選者を引き受けることになって以来、度々逢うようになって、急速に仲がよくなつた。
 聖子さんは、選者としては、厳しく、さっぱりと意見をのべ、「この小説は終わった所から書き始めるべきだ」など、ぴしゃりと断言した。悪口を云っているような気がしない。

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 そのうち、聖子さんのお宅へ招かれるようになって、玄関に人形が一杯あるのにびっくりしたが、よく聖子さんのエッセイに出てくる「カモカのおっちゃん」こと河野純夫氏という御夫君ともお知り合いになつた。たしか四人のお子さんのある方だともれ聞いていたが、聖子さんは世帯やつれなど全くなく、若々しく美しくなっていた。
 おっちゃんはよく呑むので、私もつい酔っぱらうほど呑んでしまう。彼の口癖は「田辺聖子は天才です!」であった。聖子さんの座談会にも、出席して、言葉をさしこむ。出版社が活字でその弁を消すと、聖子さんは向きになって怒った。
 おっちゃんが病気になり車椅子生活になっても、聖子さんはおっちゃんをつれて、東京の仕事場に同道した。おっちゃんが亡くなってから、夜遅く酔っぱらってかけてくる電話もなく、淋しかった。三人の優れた大阪女たちが仲がよかつたとは見えなかったが、あの偉大な才能には、甲乙がつけられない。大阪万歳である。
(令和元年)2019.6.13(木)    朝日新聞朝刊