寂聴・語る 女流作家 ふるさとの夕暮  暑い夏  怖れるもの  長生きの余徳      
          51 怖れるもの
 徳島生まれで、十八歳まで、徳島を出たことのなかった私は、暑さには強かったはずであった。
 思いがけず、満九十七歳の現在まで生きのびてしまつた私は、今年の夏の異常な暑さに、毎日、文句を言う元気さえなくなって、防虫剤を全身に浴びた虫のように、息も絶え絶えに、ひたすら、だらりと横になっている。
 「死」は怖くない。五十一歳で出家した時、私は出家とは、生きながら死ぬことだと思っていた。それは「考え」ではなく、私にとっては、それは「感じ」だつた。「考え」は、人に教えられたり、勉強したりして生まれるものだが、「感じ」は、自分の五体が自然にそう感じることで、自然発生的なものである。
 人のあまりしたがらない出家を自分から進んでした時、私の本音は、実際「死にたかった」のかもしれない。
 ところが出家してみたら、思いがけなく、私はすっかり丈夫になつて、あれよあれよという間に、只今九十七歳ま゛生きのびてしまつた。
 毎年、周りの肉親や友人たちがボロボロ死んでゆく。その度「私が代わってけあげたのに」と心の中で叫んでいる。

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 出家して以来、「死」についてあれこれ勉強もしたし、偉い出家者の書物も、昔の物から現代のものまで、たくさん読んできたが、人を納得させる程、
「死」について自信を持って語ることも出来ない。出家した義務として、自分の庵で、法話な
 「これ以上呆けたら」と独りごと
どつづけているが、聴きにきてくれた人から、肉親や配偶者に死なれて辛いと訴えられると、その人を抱きしめて一緒に泣くくらいしか能がない。それも、
 「寂聴さんが一緒に泣いてくれたので、悲しさが慰められた」
 なと言われると、身のおきどころのない恥ずかしい気持ちになる。
 生まれた時、産婆さんから、「この子は一年と命が持つまい」と言われたそうだが、九十八歳にまで生きのびてしまつて、漸く、「死」は目前の事実となつてきた。
 あの世があるのかなないのか、訊かれても答えられないが、近頃はようやく「死」は「無」になるのではなく、「他界」に移るような気がしてきた。「他界」が「現生」より楽か、苦しいかはわからない。

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 そんなわけで、「死」はいつでもおいでと思っ
ているが、その前の呆けることが怖くなってきた。うちの最近とみに有名になっている秘書の「まなほ」に言わせると、私はもうとっくに呆けていて、スタッフたちは、すべてそれを認めているという。
 真夜中にじゃんじゃんと電話をかけてきて、「冷蔵庫の扉がしまらなくなつたよ、早く来て!」
 とわめいたり、原稿の締め切り日を何度書いて渡しても失くして、貰っていないと言うし、一日中ぐうぐう寝ていて、昨日と今日がわからなくなったり、一日に二食しか食べない習慣なのに、突然、四食も要求したりする。
 気まぐれは性分と思っていたが、その度がいや増して、「もうこれ以上、つきあいきれないよ」
 と言う、その自信にみちた口調も、聞いただけで腹が立つけれど、言い返す気力もない
 「これ以上、呆けたらどうしよう」
 と、つい気弱に独りごとを言ったら、たちまち聞きつけられ、
 「それ以上、呆ける余地なんてないですよ!」
 と言下に否定されてしまつた
(令和元年)2019.8.8.日(木)    朝日新聞朝刊