寂聴・語る 女流作家 ふるさとの夕暮  暑い夏  怖れるもの  長生きの余徳  二つの誕生日  きさらぎは凶 
 コロナ過のさなか  白寿の春に  書き通した百年  不自由な夏 無我夢中の九十八 数え100歳に  数え百歳の正月   
戦争のような凶運、二度とあるまいと      瀬戸内寂庵さん数え100歳に
 瀬戸内さん=2019年4月、京都府右京区の寂庵
 作家の瀬戸内寂庵さん(98)があす、数え年で100歳を迎える。1922(大正11)年に生まれ、戦争の昭和、災害の平成を生き抜き、令和のいま「想像もしなかった」というコロナ過のため、京都の寂庵にこもる日々。それでも、「孤独も苦しみも、永遠には続きませんよ」と、電話インタビューに語った。

 ー本紙連載エッセーをまとめた『寂庵 のこされた日々』(朝日新聞出版)に<百年近くいきた最晩年のこの年になって、戦争時に負けないような、不気味な歳月を迎えてしまつた>と
書いています。
 「あの戦争のような凶運は、生涯に二度あるまいと思っていましたから、まさか、数え100歳をこんな風に迎えるとは想像もしませんでしたね」
 ―感染拡大防止のため、<法話も写経も、寂庵の行事は、すべて休み/木の扉を叩いて訪れる人も亡くなった>と。
 「寂庵のお堂には150人、無理すれば200人入りますけれど、蜜も蜜、いまは仕方がありません」
 法話といっても、私の場合は悩みのある人をなぐさめる
 孤独も苦しみも、永遠には続きません
だけ。
『妻を亡くしてさみしい』と打ち明ける人がいれば、周りで聞いている人たちが救われます。自分一人がつらいわけじゃない。そう感じるだけで救われるんですね」
 ー<集まってくれる人は/逢えてよかつたと涙くんでくれる/まだ生きてよかったのかなと、私は少しばかり心が軽くなる>。
訪れる人がいなくなり、さみしくありませんか。
 「いくら人が来てくれても、おさい銭だけですから、お金の得になりません。でも、明るい顔になつて帰って行く姿を見るのがうれしい。それが会えなくなるのはつらい。いまはとってもさみしい」
 ー家にこもり、他者と逢わない生活が、どれほど心身に悪影響を与えるか>。コロナ過で孤独に苦しむ人は多いようです。
 「生きるとは、さみしさをなぐさめ合うことです。恋愛だって、そうじゃありませんか。お互いに孤独だからこそ、なぐさめてほしくて愛し合う。『にんべん』に『愛』と書いて。『優しい』でしょ。人の憂いをなぐめさるのが優
しさ。人は優しさに弱いのよ」
 ―<私が出家したのは、一九七三(昭和四十八)年/天台宗の尼僧として生まれ変わった>。51歳で出家するまで、苦しい恋愛もあったのでは。
 「30代の頃、一緒に暮らした男との関係がこじれ、ノイローゼになって自殺未遂をしました。本当にばかなことしたものです。物が握れなくなって、外出先でハンドバックをぽろぽろ落としてばかり。見かねた友人が精神科医のところに連れて行ってくれて。いい先生で、ただ話を聞いてくれて、髪形でも着ているセーターでも何かほめてくれる。それで、だんだんよくなりました」
 ―<恋は理性の外のもので、突然、雷のように天から降ってくる。雷を避けることはできない>とはいえ大変な経験でしたね。
 「いまとなっては『あら、どんな男だつたか忘れたは』くらいなものですよ。どんなに熱い恋愛だって、その気持ちは5年も続きません。それと同じで、いまコロナでどんなに孤独で苦しくても、その
 苦しみは永遠には続きませんよ。『すべてものは移り変わる』というのが、お釈迦さまの教えです」
 ―<ものを書くだけで食べてきて/
書く仕事だけを生き甲斐にしている>。数え100歳を迎えるいまも、新聞や週刊誌、文芸誌に五つの連載を持っています。
 「作家は昔の作品より、いま書いた1行をほめてほしいもの。生きているうちは、自分を燃やしていないと。小説は別の世界に行かないと書けませんから、体力がいります。そのために毎晩、好きなお肉と少しのお酒を欠かしません。来年の目標? 遺言を早く書かないといけないのだけど、気持ちはまだ70歳くらいですからね」
   (聞き手・上原佳久)
(令和3年)2021.1.7日)    朝日新聞