寂聴・語る 女流作家 ふるさとの夕暮  暑い夏  怖れるもの  長生きの余徳   二つの誕生日  きさらぎは凶 
 コロナ過のさなか 白寿の春に  書き通した百年  無我夢中の九十八 数え100歳に  数え百歳の正月     
          48・ふるさとの夕暮れ
まさか、こんな年齢まで長生きするとは、予想したこともなかった。大正十一年生まれの私は、関東大震災を、子守の背で経験した。小学生の子守が、小さな背におぶつた赤ん坊の私と共に、庭の真ん中にへたりこんで動けなくなってのわを覚えている。と云ったら、「この嘘つき!」と、女たちからこぞって馬鹿にされた。

    ●      ●
  
 その頃の子どもたちは、幼稚園や小学校から帰ると、往来や、町の川べりにある広っぱで、遊んでいた。親たちは夕方になると、早く家に戻れとうるさく言った。
 おそくまであそんでいると「子取り」がきて、つれていかれるとおどすのだつた。
 「子取り」を見たこともないのに、子供たちは、世にも恐ろしい者と信じていた。
 たそがれを知らせるのは伝電信柱の上方についたガス燈に灯のつくころだつた。その灯をつけるおっさんや、兄さんが自転車に乗ってきて、ガス燈に灯をともす。いつからガス燈が電燈に替わったのか、この原稿を書くため故郷の電燈局に訊いてみたが、明快な返事はなかった。令和の新時代、大正の風俗など識りたがる人間は、ほとんど居ないのだろう。
 若い、粋な兄さんの点けていくガス燈の灯りは、ぼっとうるんで、たそがれの昏さの中に花が咲いたようにひろがる。さっと、こうもりが灯を逃げて、家々の軒場にかくれていく。
 「早うもどらんと、子取りが来るでよう!」
 「子取りが来るで」呼ぶ母の声
 家々の軒場から親たちが子供を呼ぶ。
 ガス燈のやわらかな光と、親の疳高い声と、こうもりの影が、その頃の、ふるさとのたそがれであつた。
 子取りにさらわれると、サーカスに売られて、帰れないと聞かされていた、一年に一度、広っぱ来て、象色のテントを張っるサーカスが好きになった私は、何とかしてサーカス小屋にもぐりこんだものだった。

   ●   ●    ●    j.

 まさか女になってから、大の大人たちが「子取り」にさらわれ、外国につれて行かれて帰れなくなるなど、想像したこともなかった
 日本の大人たちがいきなり外国人におそわれて、目かくしされ、外国につれていかれて、帰されないという理不尽なことが、現実のこの世におこるなと゜、想像も出来なかった。幾人か、帰された人に、私は佐渡で会い、話もじかに訊いた。
 彼らの帰国のため、努力している人たちにも逢って、手伝いの申し込みをしたこともある。その時、彼は「仲間たちの団結のため、新しい人の援助は―・・」と消極的で断られた。今もまだ帰れない人たちは、どうしていることやら・・。今度のアメリカ大統領の北朝鮮行に、日本人のさらわれた人の帰国に力を貸してくれるかと期待したけれど、さっぱりだつた
 「早うもどらんと、子取りにつれていかれるよう!」
 疳高い母の叫ぶ声を想いだすこの頃である
(令和元年)2019.7.13.11(木)    朝日新聞朝刊