寂聴・語る 女流作家 ふるさとの夕暮  暑い夏  怖れるもの  長生きの余徳  二つの誕生日  きさらぎは凶 
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              53 二つの誕生日
 私には誕生日が二つある。一つはこの体が、母の胎内から出てきた日で、大正十一年五月十五日であった。西暦一九二二年で、翌年関東大震災が起こったと説明すれば、私たちの世代の人たちには、素早く納得される。その生年月日で数えたら、私は目の前に来る正月で、数え九十九歳になるわけで、白寿という年で、吾ながら自分の達者さに驚いてしまう。
 もう一つの誕生日は、私の出家得度した日で、一九七三年一月十四日であった。
 長年付き合っている旧友は、この日を本人よりより覚えてくれていて、この日は送られてくるお花で花屋の店が出せるほどになる。
 毎年もうこれが最後かなと、その花々を眺めるのだが、何に護らけているのか、まだ生きつづけている。
 五月と十一月、どちらもいい季節の時で、爽やかな青葉と、紅葉の鮮やかさを見上げて、私は自分の二つの誕生日を、たっぷりと味
わっている。
 そのくせ、何事にも始末の下手な私は、毎年、死後の始末を考えることが出来ず、仕事部屋もい衣裳棚も一向に片づけられない。
 焼いておかなければと思っているノートや原稿の書き損じまで、方々に散らかって、どれが何やら、さっぱり自分では分からなくなっている。

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 もちろん、遺言も一行も書けていない。そんまものを書く間もないくらい、今、渡す原稿にせかされて、うろうろしている。
 毎月連載の原稿など、もう断ればいいのにと、若い秘書はぼやくが、たとえ、三枚や四枚の原稿でも、それを書いている時は、まだ自分が作家だと思えるので、「書けなくなるまで」放すつもりは毛頭ない。
ペン一本よくもこの年まで
 それでも、筆が遅くなってしまったのは、致し方がないことで、「書ける」分量は、自然に少なくなってきている。
 生きのびる先のことなど、さすがに考えられなくなってきた。それでも遺言は一行も書けていない。「遺言」と題だけ書いた原稿用紙が何枚も、あちこちから出てくるが、題だけで後はすべて余白である。
 おそらく本心は、まだ何か小説が書き残したくて、死にたくはないのだろう。「死体は川に投げ捨て魚の餌にせよ」と言われたという聖僧のような言葉は、とても身に添わないが、死後、どんな葬式を何度されようと、どうでもいいと思っている。

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 死後、いつまでも自分の書いたものが読まれるか、あれこれ夢に描いたこともあった。今となっては、そんな厚かましいことも考えていない。
 百歳に近いこの年まで書かせてくれ、活字にしてくれた人々への感謝だけで一杯だ。
 よくもペン一本で、この年まで生かせて貰ったことよと、有り難がるだけである。
 さすがに百歳に近いこの年では、躰の節々に痛むし、頭のめぐりも遅くなったし、もはや一人前とは言えない。それでも自分の寿命はまだわからない。死ぬその時までこうして使い慣れたペンで、自分のデザインした原稿用紙に、ものが書きつづけられたら、そんな幸せなことはないと思う。
(令和元年)2019.11.15日(金)    朝日新聞朝刊