辻村深月 大西伸明 現代美術   人文考  人文考2       
虚と実 あいまいな境界


 実物と複製、虚、実、表と裏。そのあわいい目を向け、境界の不確かむさを浮かび上がらせてきた美術家・大西伸明(47)の個展が、関西の二つのギャラリーで開かれている。一方は立体、一歩は版画と、アプローチも異なる2展だが、過去の作品群とも共通する作家の関心が浮かび上がってくる。
 同じ版で無限の星空■ひびの隙間を立体化
 
 呉春の画業 四条派たどる  来月12日まで西宮
 
 大阪の春、恒例の催し「FESTART OSAKA」が始まった。西天満、肥後橋、淀屋橋、北浜地域のギャラ17件がいっせいに企画展を開花させる。その中で筆者が注目したのが、福住画廊の「宮崎豊治の彫刻」展である。
 宮崎は代々茶釜を作る職人の家に1946年に生まれ、金沢美術工芸大がん(彫刻専攻)を卒業。20001年に恒例に国立美術館で個展を開催し、昨年話題になった同館のニュー・ウイブ 現代美術の80年代」展にも出品している。本展は79年から18年までの彫刻とドローイングで構成され、ちょっとした回顧展だ。
 79年の「身辺モデルーユウシイステーション-」    

 
 のぞき込めば 風景と一体感 
 は、宮崎自身の等身大サイズの彫刻だ。鑑賞者はテーブルの前の小さな椅子に腰かけて、眼前の平面的な菊水様(神戸市)を眺める。菊水山は宮崎が見慣れていた光景で、山の稜線を右目でのぞき込むことにより、風景とひとつになる感覚が生まれる。
 宮崎は本展のカタログに「ユウシカイは有視界と書く。操縦席に着席するように視座を固定し、風景を眺める。(中略)彫刻とは、風景や身辺の模型型化だとかんがえたからだ」と記述する。自らのまなざしを地陽刻に仕上げ、視覚と体感に訴えかける。
 80年代後半から制作された「眼下の庭」シリーズは、宮崎にとって「私の脳内にあるイメージの町である」という。時空間を超越した個人的な記憶の中に、私たちをいざなう。それはみやざきの日々の記憶がタイムスリップし、フラッシュバックした風景を彫刻という空間に置き換える作業でもある.
 彫刻には小さな穴が開いてゐ。その穴か向こうをのみぞき見ると。人型の小さ彫刻が見えてドキッとする。宮崎と家族の中にたたずむ。宮崎の記憶の迷宮に紛れ込んだ私たちは記憶の庭における風景の一部と化す。その時、この小さな彫刻に大きな空間と世界が広がるのを知る。
 大作主義に陥りやすい現代美術だが、本質的には作品が持つ独自の世界観が、鑑賞者の想像力を刺激し、新たなイメージを喚起させることが大切だ。小さいけれど大きな時空間を持つ宮崎の彫刻は、ちいさなものでも大きな宇宙を持つことを私たちに教えてくれる
    (美術評論家・加藤義夫)
2019(令和)4.16(火)   朝日新聞夕刊