ある少年の告白  水谷豊  アベンジャー  キング・オブ・モンスターズ さよならくちびる  アマンダと私  新聞記者 
「大丈夫」             
予告編
 010年代の日本アニメの最後を飾るにふさわしい大傑作である。そして、大問題だ。
雨が続く東京で、家出少年・帆高が、短い時間だけ晴れ間を作り出す能力を持つ少女・陽菜と手会う、それを利用し、2人は晴れ間を提供するという風変わりな商売を始める。商売は成功するが、その代償として陽菜の体に異変で生じ始める。
 かつて監督の新海誠は「切なさ」の名手であった。「秒速5センチメートル」などのように、異なる世界に生きる若いカップルが互いに惹かれながらも別々の道歩んでいく、。華麗に描き込まれた風景は主人公たちの哀感を代弁するが、同時に彼らをそのなかに埋没させていく。だが、10年代以降、新海は「切なさ」から少しづつ距離を置くようになる。「言の葉の庭」では、主人公が愛する時世に向かって思いの丈を叫ぶ。「君の名は。」の少年少女は、時空を超え、生死すら超えて邂逅を果たす。新海は「攻め」の作家へ変貌していく、そして本作。消えたしまった陽菜を帆高は救いに飛び立つ。
 「攻めろで押し切るクライマックスの救出劇は圧巻だ。前作に続き、RADWLMPSが音楽を担当しているが、ここでは物悲しい主題歌が途中で断ち切られ、晴れやかなもう一つ別の主題歌が差し込まれる。歌と歌、映像と音楽が切り結ばれ、歌詞が主人公の決め台詞を後押しし、エモーショんを極限まで高めていく。
 それにもまして唖然とするのは映像のハッピーエンドでありながら災厄てせある。究極のバッドエンドにも見える。この矛盾に満ちたアナーキーな結末をどう受け止めるべきか
。あまりに非現実的とみるべきか、救いがないと見るべきか。確かなのはも最後の光景がどこまでも晴れやかであることだ。桜が咲き、曇り空に光が差す。そして保高は言う。「大丈夫」と。どんな世になろうとも、人は生き続けるだろう。この映画は、人を絶望に誘いながら、その絶望を撥ねのける強靭な人生賛歌に満ちている。
 ▽全国公開中      (大久清朗・映画評論家)
予告編
 カンヌ映画祭「在る視点」部門審査員賞に輝いた「淵に立つ」で、演技のすごみを見せつけた筒井真理子。同作の監督・深田晃司が彼女の主演を前提に企画したのが、この新作だ。旧作では浅野忠信、古館寛治ら男優たちを軸にあぶりだされていった深層心理のダークな迷宮が、ここでは彼女と相手役・市川実日子を中心に照射されていく。
 筒井が演じるのは、ある復讐の念を胸に美容院(池松壮亮)に近づく、リサと言う女。本名は市子で、かつては訪問看護婦だつた。その訪問先家庭の娘・基子(市川)と、市子は親密な関係になる。が、基子の妹
が失踪したのを機に、2人の関係は変質。やがて、看護婦の職も失った市子は、リサと名乗って、基子の恋人である美容師の前に姿を現したのだつた。
 現在と過去、現実と幻想を、自在に往還する説法法が目をひく。下手をすると観客を置いてきぼりしかねない方法だが、役者陣の強靭な身体言語、特に仕草の豊かさで見せ切った。
 人間を白黒二分法で語って済ませてしまいとする姿勢が、作品の基本的な世界観を構成している。異性愛なのか同性愛七日、好意なのか憎しみなのかさえ、監督は敢えて冥界に分けようとしない。人間というものの得体の知れなさ、一寸先がどう転ぶかさえ分からない怖さ。そしたものを丸ごと引き受けて、真正面から見つめようとした作品だ。
 重要な伏線となる多くの会話や行為が動物園でなされている設定が素晴らしい。そして過去の深田映画同様、ここでも人は、追い詰められた果てに湖畔という名の"淵"に立つ。
(?峻創二・映画評論家) 
予告編
 原作はオーストラリアの文学賞を受賞したティム・ウィントンによる自伝的小説。映画化にあたって監督・脚本・制作・主演を務めたのはテレビドラマ「メンタリスト」で人気を博した俳優サイモン・ベイカー。本作でマルチな才人ぶりを発揮している。
 1970年代、オーストラリアの海にほど近い田舎町、真面目な少年パイクレットと無鉄砲で気性の荒い友人ルーニーは、ある日サーフィンの面白さに目覚めた。彼らは偶然知り合ったヒッピふうのサンド(ベイカー)から、サーフィンを教えてもらうようになる。じつはサイドーは表舞台か
から退いたが、かつては世界的なサーファーだった。少年たちはサーフィンの魅力にのめり込んでいくが、しかし正反対な性格を持つ彼らは、次第にライバル関係になるとともに、サーフィンに挑む態度にも違いが生じてくる。
 サーフィンがメインではあるのだが、決して単純にサーフィン映画とはいえない。思春期の少年の揺れ動く心を幅広くとらえた作品である。撮影時の天候も真っ青な空は狙わず、曇天であったり、弾ける波は灰色がかっていたりして、鬱屈を抱える少年の心象を表すようだ。大きな波に臆するパイクレットと、何事も向うと見ずなルーニーとの対比も、その渦中にうる少年にとってはそれがおおごとであり、胸をえぐる差異などもよくわかる。
 師であるサンへの裏切りにシフトしていくのも豊なドラマだ。嫉妬、鬱屈、罪悪感といった感情を言葉で語るのではなく、出来事や表情で見せていく演出が丁寧な、地味ながら微細な良作だ。
(真魚八重子・映画評論家)
  大阪8月2日公開。
         順次公開 
予告編
 江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」や「人間椅子」を彷彿させる設定が秀逸。孤独な男がある女性の自宅に侵入し、ベットの下に潜んで彼女の生活を監視する。身勝手なストーカー行為だが、彼自身の佇まいは、人知れず不幸な家庭生活を送る彼女の守護神のようだ。今は人妻となつたその女性は、11年前。「三井君」と一度だけ名前を呼んでくれた相手―。
 「甘い鞭」や「殺人鬼を飼う女」など映画化も多い人気作家・大石圭の仕様説が原作。最近ますます精緻な仕事の続く高良健吾が、端正な顔立ちに奇矯な妄執を宿らせる。例えば「コレ
   クター」のテレンス・スタンプのように、暗く澄んだ眼で変態と純愛の境界線を蠢きながら、異形の抒情美を醸成していく。
 男がはす向かいの部屋から窓越しに望遠レンズで女を覗き見る様子は「裏窓」を連想するが、「俳優は家畜だ」と喝破したヒチコックと異なり、熱っぽい芝居の充実を求める作りだ。ヒロイン役の西川可奈子は、清廉に輝く学生時代と、夫からDVの凄惨な被害を受ける現在という明暗を見事に演じ分ける。暴力の餌食となり、隷従に甘んじる日々の姿を肉体的にも妥協なくこなすからこそやがて王女が王子と手を携えるような、透明な瞬間を硬質に結晶させる。
 監督は安里麻里。「独立少女紅連隊」や「バイロケーション」など特異な娯楽思考を貫く彼女が、感情の複雑なうねりを扱いながら、何を描写し、何を切り捨てるがを的確に判断し、確固たる職人的力量を示した。このレベルの若手監督が日本に10人いれば、映画状況は随分豊かになるだろう。
  (森直人・映画評論)
 ▽東京公開中、大阪で
 8月30日公開 順次各地で
 
 (令和)2019.8・4(日)   朝日新聞夕刊