No  降旗康夫・北島政樹・渕上太郎 小池一夫・李姫鎬・加藤光峰 田辺聖子・原広司・フランコ、ゼフィレッリ 沈、壽官・岩橋明子・菅谷文則 
高嶋忠夫・小柴和正・ジョアン・   竹村健一・伊藤光夫・李鵬     
 俳優、司会者、歌手、映画解説者・・。軽妙洒落な語り口。色とりどりの才能は、絶えずお茶の間をひきつけた。
 兵庫県の裕福な家に生まれたが、15歳のとき空襲で家が焼けた。父が拾った古材で小さなバラック小屋を建て、ィっか6人で雨露をしのいた。戦争が終わり、小屋の片隅のラジオから流れて来た音楽に魅了された。進駐軍が流すジャズだつた。
 「ジャズのスイングするリズムが、あんなやつはいなかつたな」。1980年代に東宝のスターとして共演を重ねた宝田明さん(85)は振り返る。高校を中退するほどジャズにのめり込んだ経験は、ミュージカル俳優としての土台を築いた。
 日本初のブロードウェーミュージカルの翻訳上演「マイ・フェア・レディ」  多才 荒波くぐってなお明るく
  (63年)に参加すると、その後も次々とミュージカルで主演した。娯楽映画研究家の佐藤利明さん(55)は「日本のミュージカルのパイオニア。高嶋さんたちが礎を築いた」と語る。2008年に高島さんと会った佐藤さんは、「日本にミュージ 
 カルが浸透してきましたね」と嬉しそうに話す姿を覚えている。
 64年には、生後5ヵ月の長男がお手伝いの少女によって殺害される悲劇が起こる。水谷八重子さん(80)は、高島さんが一報を受けたとき、共に舞台
 稽古をしていた。「苦しみはどれほどだつたか。私たちにはけっして取り乱した姿は見せず、必死に稽古と本番をこなし切った」
 失意のなかひきこもつた時期もあったが、復帰して70年こ゜ろから本格的にテレビに進出
する。「イェーイ」の決めぜりふが生まれた「クイズ!ドレミファドン」、妻、寿美花世さん(87)との名コンビで仕切った料理番組「ごちそうさま」など、数々の長寿番組を生み出した。息子の政宏さん(53)、政伸さん(52〕が俳優になると一家でのテレビ出演が増え、新たなブランドイメージを構築した。
 「明るい」「温和」。共演した人は口をそろえる。水前寺清子さん(73)も後輩でもすぐに友達みたいにな天性の懐の深さがあった」と話す。
 95年にうつ病になり、約5年間、表舞台から去った。その後もパーキンソン病を発症するなど、晩年は病に苦しんだ。それでも、あえて闘病する姿をテレビにさらした。波高き人生が刻んだ年輪は、深い包容力となり、最後まで多くの人を魅了していた。
       (定塚遼)
   令和元年6月28日死去 (老衰)   88歳
                元伊勢丹社長 小柴 和正さん 
新宿の本店で、小柴和正さん、広々とした通路は伊勢丹の売りの一つに=2008年三越伊勢丹提供
 
 
ファッション主役の店づくり 
 
   令和元年6月月21日死去 (急性腎心不全)   88歳 
 ボサノバの神様と呼ばれた歌手・ギタリスト ジョアン・ジルベルトさん
   ボサノバという言葉は、時に幸福なまとろみを誘う。指先で刻まれるギターのリズムと静かな歌声が生む浮遊感がそうさせるのだろう。この音楽を生んだ一人として尊敬を集め、「ボサノバの神様」と呼ばれた。
 多くの音楽科が生まれたブラジル・パイーア州出身。リズムとハーモニーを一体化したギター奏法とささやくような歌い方で、伝統音楽サンバから「声とギター」による新たな芸術を生み出した。1958年に歌ったアントニオ・カルロス・ジョビン作曲の「想いあふれて」がボサノバ第1号とされる。
 初来日公演は2003年、72歳の時。気難しいとの評判はあつた。開演は連日1時間遅れ。
気まぐれ選挙区幸せに漂う公演
「声とギター」だけで、日本の観客を魅了したジョアン・ジルベルトさん=2006年  会場には「ホテルを出た」「到着した」とアナウンスが流れた。右手にギターを下げて「神様」が現れると、破裂するような拍手。一転して訪れた完璧な静寂。小さく歌いだすと、5千人の観客一人ひとりと向き合うような濃密な時が流れ出した。
 スタッフは大変だつた。プロデューサーの宮田茂樹さん(69)は「何を歌のかはその時までわからなかつた」。宮田さんによると、本人が日ごとに80~90曲の李とを作成。ステージで30曲程度を選んで歌った。
 ステージ以外では何をしていたのか。「ホテルの部屋から一歩も出ません」と招聘元プロマックスの遠山豊社長(61)。自転車型の運動器具をこぎ、ギターを弾いて歌っていたという。
 04年、08年も来日。08年にリオデジャネイロでの「ボサノバ誕生50年」ライブを最後に、公の場から姿を消した。それでも日本に3度もやつてきた。宮田さんは言う。「なにより観客の姿に感動したのでしようね」
 来日公演で、何度かギターを抱えるように固まった。それも数十分。夢かうつつか。ただ、ひとりひとりの観客とつながつたいとの感触を味わう。幸せな時だったに違いない。
         (西雅之)
     令和元年7月6日 (死因非公開)     88歳
 令和元年8月3日(土)  朝日新聞夕刊