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天空の近未来   焼却場   シワガラの滝       
リアルとデジタル 天空の近未来
 渋谷ヒカリエ、渋谷ストリーム、渋谷フクラス・・。東京・渋谷には2012年以降の再開発でできたカタカナ名の複合施設が林立している。中心にあるのが、19年11月に開業した渋谷スクランブルスクエアだ。
 高さ230メートル。周辺で最も高く、下から商業、オフィス、展望の3層に分かれている。45階から屋上までの展望エリアの名は「渋谷スカイ」。屋上に出ると四方を遮るものはなく。その名の通り、空が間近に感じられる。
 昨年末のNHK紅白歌合戦でも中継された広々とした屋上が注目されがちだが、開発者のこだわりは、その真下の46階に凝縮されている。都内では高僧の展望施設なんて珍しくない。「ほかにない魅力をどう作るか、必死で考えました」と展望担当の新屋潤支配人は言う。

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 導き出されたのが、リアルとデジタルの融合だつた。通路を進むと、左側は全面ガラス張りで街を行き交う人が眼下に望む。反対側の壁には、カラフルなデータ画像が一面に広がる。
 データは、ITベンチャーが集積する渋谷の街をイメージした。スマートフォンの位置情報に基づく人の動きや、ネットでつぶやかれている渋谷に関する言葉などを組み合わせ、近未来を演出している。
 1月下旬、男性が、ガラスと壁を行ったり来たりする3人の子どもを追いかけていた。都内でIT企業を経営する山田高則さん(41)。「きょうの会社を設立した記念日、いい思い出になりました」。岩手県奥州市から早朝の新幹線で来たという主婦松芳トミ子さん(75)は「一度来てみたかった。念願が果たせました」。通路の左右を交互に眺めながら、そう言って笑った。     (文・土屋亮、写真・江口和貴)   渋谷スカイ
  (東京都渋谷区) 
  災害の度 復興務めた町 
 
  2018年に尼崎城天守閣が完成した。天守としては日本最新の築城である。天守再建のもとになったのは個人の寄付によると聞く尼崎には14世紀以来城があり、江戸時代には大阪防衛の徳川の拠点であった。尼崎城は海に面した砂洲上の城で、瀬戸内海と中国海道の両方を抑えた戦略的立地だつた。しかし、水に接した軟弱な地盤は、江戸時代を通じて尼崎城が繰り返し復旧工事を余儀なくされる要因になつた。尼崎市教育委員会編「尼崎城研究資料集成」にもとづいて、その歴史をたどりたい
 1662(寛文2)年に起きたマグニチュード7.5の近江・若狭地震では、天守が傾き、櫓や石垣が破損したり崩壊したりした。1670(寛文10)年には台風が直撃し石垣が崩れ、城下の町屋が浸水した。しかし尼崎の人々は復興に努め、災害を契機に町並みを改めるなどして、よりよい城下町にしていつた。

 1707(宝永4)年に起きたマグニチュード8.6の宝永地震では、本丸の櫓・多門櫓6棟と本丸御殿の広間・台所が崩壊
二の丸・三の丸では櫓5棟が倒壊、8棟が損壊した。城下では町屋191軒が倒壊した。被害は甚大だつたが、尼崎の人々はおよそ10年で城と町を復興した。
 1854(安政元)年に起きたマグネチュード8.4の安政東南海地震では、櫓11棟が倒壊てられなかった。ところが、火
あるいは損壊、多門櫓や門17 棟が倒壊あるいは損壊した。
このときも速やかな復興を進めた。このように尼崎の城と町は、歴史の中で厳しい災害に遭ったが、人々はその度に立ち上がって城下町をみごとに復興してきた。
 安政東南海地震前の1846(弘化3)年には、本丸で火災が発生し、本丸御殿を全焼した。財政危機に陥っていた尼崎藩に災当日のうちに領内の村々からは、御殿再建のめどはとてもた
お見舞いと寄付金が城に届けら れ、ついにそうした寄付金で本丸御殿が再建できたという。尼崎城も松平のお殿様も、尼崎の人々にとても愛されていたのではある、
 城というと、抑制の象徴という人がいる。しかし、決してそんな城だけではなかったのを尼崎城は物語る。寄付でに日本最新の天守ができたというのも、尼崎らしいと思う。
 (千田嘉博・城郭考古学者)
 
   昭和を代表する作庭家の重森三玲(1896~1975)が53年に設計・作庭し、2014年、国の名勝に指定されました。
 岸和田城天守閣から望むと、白砂を囲む三重の縁石が印象的。中央に「大将」を表す石が配され、それを取り巻くように八つの石組みが並びます。軍師・諸葛孔明の陣構えからイメージしたため、この名があります。
 天守は江戸時代に落雷で焼失して再建されず、城跡は長く石垣と掘のみの状態でした。戦後に堀の一部を埋め立てて児童遊園地を造る案が検討された際、市から相談を受け 空からも鑑賞 重森イズム 
た重森が城跡を保存するため作庭を提案したそうです。庭ができた翌年の54年、3層の現在の天守閣が鉄筋コンクリート造りで再建されました
 地上から360度、どこからでも鑑賞できるほか、将来は飛行機から見えるだろうと予想して設計しました。「従来の庭園史上にない次元」「私独自の創作」重森は著書で紹介しています。
 市郷士文化課の山岡邦章・文化財担当長は「市も重森に意匠を任せた。何もない城跡に自由に設計できた。重森イズムを出し切った庭だろう」と話しています。
       (川田淳史)
 
 令和元年(2019)9月21日   朝日新聞夕刊