渡航し人は            
 
  ―歴史上、日本人が海外に出たとき、時の意識は元号によっていたのでしようか。
 遣唐使とともに中国へ渡った留学僧は、中国に入ると、中国の元号を用いました。例えば、平墳時代に比叡山の基礎を築いた第3代天台座主の円仁(794~86)が838~847年に唐に留学した記録「入唐求法巡  
 古代や中世の日本人は中国に行ったら、どんな時の区分を用いのだろう。海外交流史の研究者に聞いた。
 
礼行記」では、932年に唐で初めて迎えた正月のところに「開成四年。本国の承和六年にあたる」という記述があります。日本の元号と中国の元号の関係を、自分で理解していることがわかりますね。ただし、そこからは中国の元号を用いていきました。853~58年に唐へ渡った円珍(814~891)も同じでか。唐に着いた時に「時に(唐)国に年号を大中七年といった」と記録しています。
 ―こうした意識は唐の時代だけでしようか。
 宋(960~1279)の時代になっても変わらなかったようです。天台僧の成尋(1011~81)が、10732に渡航してからの旅行記「 
 参天台五台山記」でも、「延山四(1072)年十一月一日、丙午、晴天」と出国前の日本の元号を一部用いていますが、原則的には「煕寧五(1072)年八月一日、丁丑。晴天」などと中国の元号を記しています。中国では、あちらの時空間に渡ると中国の元号を喜んで使っています。
 ―日本が独自の元号を持っていたことを、中国側はどう見ていたのでしようか。
 外交史研究者にはよく知られたことですが、唐の歴史書「旧唐書」の中の「日本伝」におもしろい史料があります。玄宗皇帝の開元年間(713~41)の始めに日本が使者を遣わし、儒教の経典を教授してほしいと願いを出しました。「そのお礼として持ってきたが、布には『白亀元年調布』と書いてあった。
 『これはなんだ。こんな元号は知らない』と人々がいぶかしんだ」と。「白亀」は、元正天皇の「霊亀元年」(715年)という元号かといわれます。日本に独自の元号があることが発覚しそうになるのですが、「なんだこれは」で終わりました。日本では、こんな元号が使われているということを日本側から伝えな
   かったことがわかりました。
 ―逆に。日本側は中国の元号を知っていたのですか。
 奈良時代の基本史料「続日本記」には、遣唐使が持ち帰った情報を披露する場面で、「大暦十三年、宝亀九年に当たるなり」とあります。日本も中国でどんなできごとが起きていたのか、東アジアの一員として知っておきたい。中国と日本の元号の対応を整理する必要があったでしよう。でも、国内で文書を書く際に中国の元号は意識しなかった。現在のように、元号と西暦を併記する感覚まではいかなかったと思います。
  (聞き手・小滝ちひろ)
  5月になると、1990年の「プラハの春音楽祭」という国際コンクールに参加したときを思い出します。まだ留学前の修行時代で、師匠の渡邊暁雄先生は余命わずか。病院のベッドの上でコンクールの結果を楽しみにされていました。
 僕はそれまで海外に行ったこともなく、コンクールも初めてだったのに、幸運にも最後の3人に残ることができて、僕は有頂天。「絶対優勝できる!」と信じ、ファイナルランドでは、名門のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と一緒に、ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」を指揮できたのですが、1位は無しで、残念ながら僕は入賞に終わりました。
 落胆して、帰国後、空港から病院に直行して師匠の渡邊先生に報告すると、先生はベッドの上でニコッとされて、「良かった!優勝はしないように祈っていたんだ。もっと勉強しなきゃ。優勝はまだ早すぎるよ」と言って下さり・・。その後、その意味を思いしされることになりました。毎年、この季節になると、あのときの先生の笑顔を思い出し、天狗になりかかつてい
        
 「新世界」 1回きりのシンバル
た鼻を折られて本当に良かったとつくづく思います。
 ところで、「新世界より」の「新世界」とは、故郷チェコから米国に渡ったドボルザークから見た米国のことです。米国的な部分はもちろんありますが(鉄道マニアだつたドボルザークは汽笛の音や、黒人霊歌やインディアンの音楽を取り入れています)、その一方で、このときは強度のホームショックで故郷を思う気持ちが強く表現され、懐かしいボヘミア的な旋律が多くちりばめられ、それが起きな魅力となつさています。
 4楽章では、全曲を通してたった1回だけシンバルが使われます。普段は派手に使われる楽器なのですが。ここでは控えめに「シャバ~」と演奏されます。若い演奏者は大変緊張するらしく、本番でいよいよこの箇所が近づき、金縛りにあい、演奏できないまま、そっと椅子に座ったという逸話が世界中にあるくらいです。
 このシンバルが何を表しているのか、ドボルザークは言及していません。一体何を意味しているのだろえ?と感じながら、この名曲を楽しねのもいかがでしようか。
                                   ふじおか・さちお 1962年、東京都出身。関西フルハーモニー
                                  管弦楽団の首席指揮者。国内外の多くのオーケストラでも客演する。
 4月から、毎月1回、朝日新聞(大阪本社発行)ま夕刊文化面で、エッセー「里見香奈のさとかな的日常」の連載を始めた。「原稿執筆はお断りしてきたました」という原則を曲げ、依頼を引き受けたのは「将棋を始める人が少しでも増えるきっかけになれば」との思いからだ。
 いま、女流将棋界で最も忙しい人だろう。女流将棋界には、六つのタイトル戦(マイナビ女子オープン、リコー杯女流王座戦、岡田美術館杯女流名人戦、霧島酒造杯女流王将戦、大山名人杯倉敷藤花
戦)に、最近、ヒューリック杯精麗戦が加わった。このうちの女流名人・女流王将・倉敷藤花の四冠を保持するほか、マイナビ女子オープンと女流王位戦で、いずれも五番勝負を挑戦者として戦っている。精麗戦では第1棋士枠の予選に参戦中で、NHK杯などでも女流棋士枠で対局する。
 最近で対局だけでなく、将棋の普及にも尽力する。「私をここまで育ててくれた将棋界への感謝の気持ちからです」         
                 (佐藤圭司) 
  2019(令和)5.16日(木)  朝日新聞夕刊