No1   芥川賞 浅田次郎 角田光代 木内昇 李龍徳 吉村満壱
 
今と変わらず 生を生きる人々 
角田光代「源氏物語」現代語訳を終えて 
  小説家・角田光代さんの「源氏物語」全3巻が完結した
池澤夏樹個人集『日本文学全集』(河出書房新社)全30巻
をしめくくる。訳し終えた角田さんに寄稿してもらった
 源氏物語の現代語訳を依頼されたときは、二の想い仕事だなと思ってけれど、ものすごくたいへんなことだとは思わなかった。三年で全訳を終えてほしいという依頼だったので、三年で終わるだろうと思っていたし、古典から読み解くのではなく、古典文学集などの現代語訳テキストがあるのだ。たとえるならば、目の前の広大な田畑と、そのずっと向こうに連なる山々といった光景をスケッチするような作業なのだろうと思っていた。無知ゆえに引き受けることができたのだ。
 実際にとりかかってみれば、三年なんかではとても終わらないし、何冊テキストがあろうが何種類すぐれた現代語訳があろうが、やっぱりとてもとてもたいへんな作業だつた。この手この脚で畑を掘って田んぼのぬかるみを進んで、遠くに見える山々を目指して歩み  



  がっつりとまみれ 見えた「幕の向こう」
、登り、下る、そな、がっつりとまみれる作戦だった。
 がっつりとまみれてみれば、今まで読むだけでは見えなかったものが見えてくる。それまでの「読む」行為では、すべてのできごとは、幕の向こうで行われている印象だつた。はっきりとは見えないけれど何か―些末なことが重要なことかわからないけれどとにかく起きている。としか思えなかった。訳すことは、まみれるめことは、その幕を乱暴に引きちぎって「見る」ことであつた。何が起きているのか。起きていることは、さらに何を引き起こすのか。
 下巻から振り返ってみれば、光源氏が若さと自身に満ちあふれていた上巻は、まるで神話の世界のようにまばゆくて、じょじょに彼が加齢していく中巻は、人々を巻き込んで運命が動いていくダイナミックさがあり、光が完全に消えてしまった下巻は、適度に善意を持ち適度に自己中心的な、不器用でぶざまな人間たちがそれぞれにうごめいている。上巻では遠い天上界のようだった世界も、下巻では下界へと移行したようで、そこで苦悩する人々は現代に生きる私たちにぐっと近づく。
 幕の向こうで行われていたのは、人が、それぞれの生き生きること、だつた。ほしいものがすべて手に入っても、何ひとつ思うがままにならなくても、どちらも年月を経過して
終焉に向か、それをすべて引き受けて、生きなければならない。そのこと自体は千年前も今も変わらない。―というのは、古典にも源氏物語にも素養も知識もない私の、もしかしら強引に「今の私たち」に近づけすぎた読みかたかもしれない。時代ごとに解釈されて読まれ続けて来たこの長大いな物語は、そんな私の読みかたをも許してくれる幅の広さを持つ。
 ところで、私は一帖ずつパソコンのファイルに保存していたのだが、そろそろ最期の最後が見えてきたというころに、ほとんど終えかけていた帖のファイルがパソコン内から突然消えた。かなりの原稿量だつたので、泣きそうになりながら必死でさがした。友人たちが検索方法をいろいろ教えてくれて、すべて試した。でも、ない、消えた。そのとき私はまず思ってのは、パソコンの操作を誤ったのではないかということでもなく、外付けディスクになぜ保存しなかったのかということもなく、「紫式部が消した」ということだった。訳が気に入らなて訳しなおせと言っているのだと思った。それでその帖をまたあらかた訳しはじめ、そのうち。違う、訳しなおせてはない、まだまだ終わってくれるな、もっとつきあいなさいと言っている、と思うに至った。数年後には、あのときの私はなんだかへんだつたと笑うだろうけれど、でも、本気でそう思うくらいには、この物語と作者を近く感じられたのだと思う。
 (令和2年)2020.3.5日(日)   朝日新聞夕刊