次代の栞  時代の栞②  時代の栞③  時代の栞⓸   蟹工船  「恍惚の人」  賢者の贈り物   
異聞かで自分を解放する楽しさ
        作家      柴田翔さん(84)
 小田実とは1970年から3年続いた同人誌「人間として」で知り合って、すぐに気楽に「小田、柴田」と呼び合うようになりました。頭の回転の速さは抜群。口調は「南限みなチョボチョワ゛や」で、それぞれで口先だけの嘘には聞こえなかった。
 「何でも見てやろう」には、運と自分の力を信じて自由にアメリカその他の国々を闊歩して行く若々しい著者の魅力が溢れています。大阪で空襲の焼け跡や闇市を歩く小田少年―。そういう時代の風景も透けて見えます。
 本の後半、日欧米園の話には入ると様子が変わる。当時のアラブ連合の盟主エジプトのナセル大統領の評価など、あの頭脳明晰な小田にしてなお混乱している印象です。しかし、インドの路上で過ごした一夜を記す時、小田は裸の小田に戻る。日本のインテリで彼ののみが書ける文章だと敬服します。
 私は小田とは反対の出不精タイプですが、62年秋から2年間ドイツに留学して学生寮でいろいろな国の学生と一緒に暮らすうちに、何か自分が自由になつた気がしますね。世界には日々あれこれあって、その事情は自分なりに分かるようになって―。みたいな感じで、今、海外との行き来は簡単になっていますが、それでも育った環境とは違う世界に身を置き、今までの枠の外へ自分を解放する楽しさは「何でも見てやろう」の頃と少しも変わらないと思います。
 何でも見てやろう  1961年 小田実 ▼▼海外旅する若者 
         戦後日本がまだ貧しく、海外への旅が難しかった約60年前。1日1ドルの貧乏旅行で西欧や中東、アジアなど計22ヵ国を回った若者がいた。後にベトナム反戦運動に身を投じる彼の人生に大きな影響を与えたその度の記録は、今も読み継がれる。経済成長を経て海外旅行は身近になつたが、島国から海の向こうを目指す価値は変わらないだろう。

   ●   ●

 何でも見てやろう―。1958年に米ハーバード大学に留学した作家・小田実は、そんな方針を定めて帰      
世界の懐にはいり日本を考える
国までの2年間で観光地からトイレ、スラム街まで歩き回った。人種差別が激しい米国南部にも足を運び、一時はソ連などき旧東側諸国にも渡ろうとした。
 帰国後の61年、旅の方針を書名にとった旅行記を出した。記者の手元にあるのは同11月の「110版」。2月から連日のように刷りを重ねた。いま手に入る講談社文庫も79年以来、46刷り、計16万5千部と読み継がれている。  
 海外旅行は戦後社会の変遷を映す。当初は一部の仕事や留学に限られていたが、小田の旅から間もない64年に海外渡航が自由化され、団体旅行が盛んに。
 日本人出国者数は72年に年100万人を超え、90年には1千万人に達した。バブル崩壊後はバックパッカー人気が社会現象になつた。
   旅行作家の下川裕治さん(65)は「小田さんは後の格安世界一人旅のはしり。数十年たつて時代が追い付いた」とみる。他の文化人や特派員より低い視線も魅力だといい「真正面からどんどん吸収して考える感じが、いま読み返しても面白い」。そしてこう、うらやむ。「旅した本人が一番面白かったはず」
 玄順恵さんは夫の小田に「人生の同行者(フェロー・トラベラー)と呼ばれ、よく旅に同行した。日程も費用も全て自力で調べ、計画を立てる。豪州では先住民族に「おまえは何族か」と訊かれるほど相手の懐に入り込んだ。「絶えず虫の目と鳥の目を行き来し、戦後日本の存在意義を考え続けた」
 ベトナム戦争に米国が本格介入した65年、後の「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」が結成され、小田は代表に。幅広い海外の人脈を生かし、脱走米兵を支援した。
 ベ平連結成に加わった作家の小中陽太郎さん(84)は「小田さんの英語は鎹の相手によく通じた、いわば『何でもいってやろう』。発音よりも議論力だつた」と振り返る。「侵略する米国とは闘ったが、自由で民主的な米国は最後まで好きだったと思う」。その原点は20代の旅のあった。

    ●    ●  
  海外への旅は、小田の時代より格段に容易になつた。昨年の日本人出国者は、のべ1895万人で過去最多だ。
 観光学者の井出明・金沢大学准教授は、小田の本にトラブルの記述が少ない点に注目する。何でも見てやろうと物騒な所も巡ったはずだ。運が良かったのか、災難に遭っても大したこととは思わなかったのか。「いま若者が海外で事件に巻き込まれたら『自己責任』とたたかれる。若気の至りに寛容な社会のほうが海外で挑戦しやすいはず」
 2000年代には若者の出国律が一時下がり、若者の海外離れが叫ばれたこともあったが、今は回復基調にある。留学のための奨学金や単位交換の制度が整い、留学先は多様化しているという。
 JTB藏合研究所の早野陽子・主任研究員が指摘するのは、海外への旅に積極的な層とそうでない層の「二極化」。同研究所の推計では、20~24歳の女性の昨年の出国率はのべ4割に達する。韓国や台湾など、「安定短」主体だが「勉強や社会貢献など国際情勢に左右されない」という。
 「そうでない」若者にとって、海外は関心の外になったのか。家にいてネットで情報を得られ、旅先でもいつでも「つながる」時代。海外は「近く」なつたが、孤独にに思索を深めるぶらぶら旅は難しくなった。
        (大内悟史)
 
 都道府県ごとの最低賃金が10月に上がる。働き手の数も考慮した全国の加重平均は27円上がり。874円から901円になる。その推移を振り返ると、節目は2007年度と18年度だつた。
 最低賃金は、企業が労働者に最低限支払わなければならない賃金のこと。略して最賃と呼ばれる。厚生労働省の審議会が毎年夏、物価や所得水準なとをもとに目安を示す。これを参考に都道府県ごとの引き上げ額が決まる。
 最も高い東京は今回、985円から1013円に、2位の神奈川県は983円から1011円になる。1千円台の地域が現れるのは初めて。最も低い地域は790円。北東北や、福岡を除く九州なとの15県が並ぶ。当初は1日あたりの金額表示が主流だつたが、バブル崩壊後に非正規社員の働き手が増え、1 
 
日に短時間で働くケースが多くなったため、時給表示に一本化された。2002年度のことだ。全国平均は663円だつた。
 引き上げ幅は、16年度までは毎年5円以下にとどまつた。最賃の影響を受けやすい中小零細企業の支払い能力が重視された。最賃で働く人の収入が生活保護の水準よりも実質的に低くなる「逆転現象」が、あちこちで見られた。
 状況をかえたのか゜、07年度に成立した改正法だ。「逆転現象」の解消をめざすことが盛り込まれた。改正法案が議論中だつた07年度の最賃の審議会にも影響し、全国平均の引き上げ幅は10円以上に跳ね上がった。その状況は、東日本大震災の影響をうけた11年度を例外に続く。
 改正法が施行された08年度当時、東京や大阪など12都道府県で見られた「逆転現象」は
   14年度には全国で解消された。全国平均は780円の節目は15年度だ。
 個人消費を増やしたい安倍政権が、最賃を年3%程度引き上げて「全国平均1千円」をめざす、と表明。審議会は、これに後押しされた。翌16年度からは、全国平均で25円以上の引き上げが続く、
 今夏に固まった19年度のの上昇幅は27円で、現在の制度の下では過去最高。政府はこれに先立つてまとめた「骨太の方針」に、全国平均1千円の達成を「より早期に」と記した。
 ただ、働き手にとっては時給1千円で1日8時間、月20日働いても年収は200万円に届かない。働き続けても生活が苦しいワーキングプアの課題は残る。
 一方の企業側にとって、最賃の引き上げは人手不足の解消に効果があるとされるが、急速な引き上げに中小企業がついていけず、逆に雇用が失われる、という指摘もある。
 日本総研の山田久・主席研究員は完全失業率が改善傾向にあることを踏まえ「引き上げによる悪影響はまだ目立つていない」。そのうえで、「最賃に近い水準で働く人の割合は年々増えている。詳細な分析を続ける必要がある」と話す。
         (滝沢卓)
 (令和元年)2019.9.27日    朝日新聞夕刊