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「こうすべきだ」男女とも壊そう
   ジャーナリスト    治部れんげさん(45)
 自ら「負け犬」と言える世代は、ある意味、恵まれていました。今は男女ともに非正規雇用だったり、収入が不安定だったり、状況がより深刻です当事者たちが皮肉より、笑っていられない時代は、まだ余裕があったのです。
 経済誌の記者だつた約20年前、女性経営者から「子どもがいないことを後悔している」と聞き、驚きました。最近は、子育て中の部下がいる女性管理職から、「子どもがいないからロールモデルになれない」という声をよく聞きます。
 輝かしいキャリアの女性たちに、こう言わせてしまものは一体何なのか。家庭の責任を負うのは当然女性だという規範がいまだ強く残っているため、既婚未婚。家庭状況に関わらず、女性が生きづらさを感じます。規範に沿っていないと、気になるのかもしれません。しかし、家事育児や介護をしない男性が議論の舞台に上がらないことが本当の問題ではないでしようか。親が負う責任や、ケアする役割をシェアするなど、家族の定義を緩くすることも重要です。
 「この年齢でこうしなければいけない」という「負け犬」と感じてしまう要因になる。女性の場合は、結婚や出産。男性の場合は、就職し経済力を持つべきだという考え方です。女性の問題は、男性の問題とセットになっていることが多く、同時に壊していく方がいい。男性の自由な生き方にもつながるはずです。
「負け犬の遠吠え 2003年 酒井順子 ▶▶独身女性の悩みや葛藤 等身大
      「この6年間で、(女性候補が)何をしてきたのか。一番大きな功績は、子どもをつくったこと」。7月の参院選で、自民党の衆議院議員が女性候補者の応援演説でこう発言し、批判がわき上がった。
 多様な生き方が議論される中でも、女性の結婚や出産をめぐる問題は変わらないのだろうか。かつて、特定の条件に当てはまる女性を「負け犬」と位置づけ、様々な論争を巻き起こした一冊がある。坂井順子さん(52)が2003年に出版した「負け犬の遠吠え」(講談社)
 美人で仕事ができても、30代以上で子どものいな      
い独身女性は「負け犬」―。
 酒井さんは自虐を込めた刺激的なフレーズで、独身女性の悩みや葛藤を等身大にユーモラスに描いた。初版の翌年には30万部を超えるベストセラーに。雑誌で特集が組まれ、「負け犬」は「2004ユーキャン新語・流行語大賞」のトップテンに選ばれるなど反響を呼んだ。
 「仕事も遊びも充実。不満はない。でも、周囲は『負け犬の遠吠え』と思っていますよね」。当時、30代半ばで
 
独身だった酒井さんは、同年齢の担当編集者、森山悦子さんとの会話を機に執筆を始めた。「画竜点静、竜に立派かも知れないが、結婚という一点のみが欠けて
いる」。

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 1986年の男女雇用機会均等法施工後、女性の社
  会進出は進んだ。だが、「負け犬」との自覚を持つに至ったのは、キャリアほ積んできた女性たち。「周囲に対し『負け犬』とおなかを見せた方が楽になる。自虐は専守防衛の手段でした」
 盛山さんの元には「傷ついた」との声が届く一方、「よくぞ言ってくれた」という共感や支持が多数。盛山さんは「言語化できなかつた問題を躇在させたことへの反響だつた」と振り返る。
 結婚しない人は増えている。国立社会保障・人口問題研究所の調べでは、50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合を示す「生涯未婚率」は90年に女性4.33%、男性5.57%。2015年にはそれぞれ14.06%、23.37%に上昇した。
 親と同居し豊かな生活を楽しむ未婚者を「パラサイト・シングル」と名付けた中央大学の山田昌弘教授(家族社会学)は「負け犬世代を開拓しなければならないのに、モデルがなく、結婚か仕事の二択だつた」。
 バブル崩壊後、97年にアジア通貨危機が起き、就職難が続く。非正規雇用も増加、若者を取り巻く環境は激変する。「婚活」という言葉をつくつた山田教授は「婚活ブームで『相手を探している』と言いやすくなった。しかし、一定の収入がある人と結婚し、家事育児を担うという従来型の家族制度に入るための競争になつた。結果、『負け犬』を反面教師とした
 今の若者たちの保守化が進んだ」。
 だが結婚したくても出来ない人は多く、未婚化は進む。

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 結婚相手紹介サービス「オーネット」が19年に成人式を迎えた男女618人に行った調査で、全体の約8割が「結婚したい」と回答。長岡正光・マーケティング部副部長は「経済や将来への不安が強く、思い描く人生を明確に持つてに誘拐する20代が多い」。
 20~30代の働く女性に関する調査研究を行う博報堂キャリジョ研の松井博代さんによると、働く女性の結婚の理想像は「3共」。金銭感覚が「共通」で、家事育児を「共有」でき、仕事観や人生観などを、「共感」できるパートナーだ。「安定と肯定が鍵。安定は経済力や家庭など自ら築き上げられるが、肯定は自分では得られない。生き方は多様化しているが、世間から肯定を得るのは難しい」
 酒井さんは今、パートナーと暮らす。両親と兄との死別体験から「家族終了」(集英社)も出版した。
 「実は昔から『相手はいた方がいい』主義。法律婚でなくても、同性の友達同士でもいい、家族の古い縛りを解くと、違う形態がみえる。誰しも最期は一人人生100年時代。自分の強みや弱みに合わせた暮らし方が必要。伝統的な家族形態を選択しなくても、普通に生きられる世の中であつてほしい。」
 
    平野塚穴山古墳は、大阪と奈良の府県境にある香芝市の北部に位置し、一辺約25~30メートルの2段に築かれた方形の古墳(方
   
 奈良県香芝市の国史跡、平野塚穴山古墳(7世紀後半)は、斜面に疑灰岩の石材が張り巡らされていたことが明らかになり、天皇の一族の墓の可能性が高まっている。被葬者の有力候補の一人が、飛鳥時代に2度皇位についた女帝・斉明天皇(504~661)の父、茅渟王だ。だが、7世紀中ごろには没したとみられる茅渟王の墓にしては新しい。そこで浮上したのが改葬説だ。飛鳥の歴史に詳しい猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)に聞いた。
墳)だ。香芝市教育委員会の発掘調査で、少なくとも墳丘の上段表面が疑灰岩の張り石で飾られていたとみられることが分かった。 
 疑灰岩の切り石を墳丘に張り巡らせるという特徴は、いずれも奈良県明日香村にある、斉明天皇陵との見方が強い牽牛子塚古墳(国史跡)と、天武天皇と妻の持統天皇が葬られたとされる野口王墓古墳に限られる。そのため、被葬者は天皇の一族との見方が強まり、専門家の間では10世紀の平安時代にできた法令集「延喜式」の記述などから、茅渟王を被葬者とする見方が出ていた。
 だが、平野塚穴山古墳が築かれたのは、考古学的にには7世紀後半とみられる。茅渟王の生没年は不明だが、その子の斉明天皇の死去が661年であり、平野塚穴山古墳の築造年とは合わない。猪熊さんは「斉明天皇の父にふさわしいように立派なお墓を新たにつくつて、ご遺体を移したのではないか」と想定し、改葬説を主張した。
 6世紀末~8世紀初めの飛鳥時代には「改葬」は特別なケースではなかった。厩戸皇子(聖徳太子)や蘇我馬子と一緒に集権的な官僚国家づくりを進めた
推古天皇(654~628)は、奈良県橿原市の植山古墳(国史跡。6世紀末~7世紀前半)に息子の武田皇子と一緒に葬られたが、のちに大阪府太子町の山田高塚古墳に改葬されたとみられる。斉明天皇のおっとである舒明天皇(593~641)の墓についても、日本書紀によれば、「滑谷岡」から「押坂陵」に改められたとされる。平野塚穴山古墳が茅渟王の改葬墓だつたとすれば、最初に葬られた墓所はどこだつたのか。それについては、猪熊さんも「わからない。最初に葬られた地が、飛鳥だったのかどうか。推定する材料がありません」と首をひねる。
 ただ、平野穴山古墳が7世紀の天皇陵だけに身みられる特殊な構造を備えていたことが明らかになり、奈良県西部が重要エリアだつたことをクローズアップすることにつながった。猪熊さんは「平野穴山古墳の約3キロ東には茅渟王や舒明天皇の父にあたる押坂彦人大兄皇子(没年不明)の墓の可能性がある牧野古墳(同県広陵町)もある、一帯が天皇一族の墓地だつたのではないか」とみる。
  (編集委員・小滝ちひろ)
 (令和元年)2019.8.19日    朝日新聞夕刊