1969・1991  1951・1972・1970・1972  1969.1972.1982.1987  1980.1981.1985.199   
 
 ちょぅど50年前の11月、プログラマーやシステムエンジニアなどコンピューター技術者の国家試験が初めて行われた。写真は試験会場のひとつとなった東京都内の学校。解答用紙に向かう受験者の真剣な表情が印象的だ。
 応募者は「3,4千人ならまずまず」という通産省(当時)
の見通しに反して、4万人を超える人気ぶりだった。慌てて予算を追加し、会場や試験官の確保にもひと苦労だったと、当時の記事にある。
 会社が受験料を負担したり、合格者に「コンピューター手当」を支給したりするなど、企業側のお通しもあつたという。




    





◆時代を切り取った写真を振り返り、次代を
象徴した「ことば」への想いをつづります。
 
  小学1年の夏だつた。アオスジアゲハを捕まえに、鎮守の杜に出かけた。黒い羽に輝く瑠璃色の一筋。憧れのチョウだ。
 高いところを飛ぶので、捕虫網に竹ざおを継ぎ足す。そうすると操作性が悪く思うように網を動かせない。そうこうするうちに日が傾き、瞬く間に木の影が濃くなった。鬼がてるかもしれない。僕は不安になって半べそをかきながら家に帰った。
 夜の7時近かった。玄関では母が待ち受けていた。「何時だと思ってるの! 5時に帰る約束でしょ。そんな子は出ていくなさい」。鬼は家の中にいた。
僕は階段を下り、アパート前の芝生にしばらく寝転んだ。涙は止まった。そして私鉄の駅に向かう坂道をスタスタ歩き始めた。
 慌てのは、窓から様子を見ていた母だつた。一度もも家を振り返らず坂道を下っていく息子を見ていた母だつた。その姿勢がどんどん小さくなっていく。夕飯の支度をしていた母は取るものも取り合えず、追いかけた。坂道を下って通りに差し掛かったところで、ようやく僕を捕まえた。「どこに行くつもりなの」。母の息はあがつている。「東京のおばあちやんち」。はじめてのいえでだつた。
 1963年、詩人・寺山俊司
は大学で「家で」を説いて回り「現代の青春諭」にまとめた。僕は72年、高校のときにその文庫版「家出のすすめ」を手にし、むさほり読んだ。
 91年秋、母のかな暦祝いにオーストラリアに連れて行った。初めての親孝行。「学生のときに来てたら、帰ってこなかつたでしよう」。母は言った。「そうだね」「だから出さなかったのよ」
 学生の頃、海外に行きたいと言っても、母は頑として許さなかった。小1の夏に、僕の中に放浪癖を見たのだという。
(朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長 前田安正)
 
  参加団体700、企画700と豪語する早大の「早稲田祭」。「100円で修士がたたける」をキャッチフレーズにしたネズミたたきコーナもお目見えし、人気を集めた。
 バブル景気に踊るこの年のスローガンは「腐食を深める現代―理想の氷河期をうち砕
 くわれらの灼熱の太陽たらん」。とはいえ構内には模擬店や喫茶店が立ち並び、呼び込みの学生の声が響き渡った。
 サークルなどにいそしむ学生にとって活動費を稼ぐ絶好の機会。4日間で100万円の利益を上げた所もあったという。 
    











◆時代を切り取った写真を振り返り、次代を
象徴した「ことば」への想いをつづります。
 
 1年の浪人を経て入った大学にはほとんどいなかつた。開店から閉店まで毎日のようにパチンコ通い。資金稼ぎに新宿の大型書店地下にあるパン屋でアルバイト。時給350円。
 その大学も3年の秋に、親に黙って退学届けを出した。「なぜやめるの?」。担当職員は「戻ってこられるように、休学扱いにしておくよ」と言った。
 パチンコ通いを続けるうちにアルバイトの一人と仲良くなった。彼は釘の見方や玉の出そうな台をこっそり教えてくれた。そのおかげで、そこそこ貯金ができた。これを元手に、もう一度勉強のやり直したいと思った
 「やってもできない」状態になって、すっかり生きる自信をなくしていた。これじゃ駄目だ。リセットして、もう一度「やればできる」に戻したかった。
 入学金などを払うには、貯金の額では足りない。アルバイトを増やして勉強した。受験日まで横になって寝た記憶はない。なんとか合格し、正式に退学届けを出した。「あめでとう」。休学扱いした職員は言った。1周遅れ、22歳の1年生。「やればできる、かも」くらいの感覚にはなつたかな。
 親にばれて大けんかをして家を出た。授業料も生活費も自分で賄った。水でおなかを満たす
 生活も苦ではなかった。「もう駄目かも」という局面で、必ず友達が手を差し伸べてくれた。
 大学を卒業し、会社に入って初めてもらつた給料。手にしたこともない額を現金支給された。突然、僕のもとにやってきたバブル経済。父と母にそれぞれ小遣いを渡した。残りはほぼ全額、学生時代に世話になつた友人にごちそうした。初任給は半月もたず、泡と消えた。
(朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長 前田安正)
 令和元年(2019)9月15日(月)    朝日新聞夕刊
 令和元年(2019.11.12日)    朝日新聞夕刊より