もっと知りたい2.3.4  イラン1.2.3         
  日本の議会政治の歴史は、1890年11月の第1回帝国会議にさかのぼる。
 当時、与党として内閣を組織したのは藩閥官僚の系譜を持つ「吏党」と呼ばれた政党で、自由民権運動の流れをくむ「民党」と呼ばれる政党が野党側だつた。
 帝国議会は、与野党政友会と立憲民政党など政党政治が活発だった時期もあったが、あくまで「天皇の協賛機関」にとどまつた。その後、軍部の台頭を許し、1940年に各党は解散。大政翼賛会が発足し、世は戦時体制に染まった。
 戦後、国会は「国権の最高機関」に。その国会で長らく野党第1党を占めた政党が社会党だ。
 戦前からの労働運動の流れをくんで45年11月に結党した社会党は、社会主義的な政策の実現を掲げ、47年に躍進。発の社会党首班内閣を誕生させた
 同内閣は党内の左右対立など
 
 で9カ月余りで退陣した。55年の左右再統一後の社会党は「護憲・平和の党」を旗印にした。自由党と日本民主党の保守合同で「自民党」も誕生。この保革構図である「55年体制」のもと、革新勢力として戦後政治史を織りなした。
 社会党の「野党」としての特徴は、庶民、労働者の側に立つて変輪な国造りを目指すというスタンスのもと、日米安保闘争や護憲運動、消費税反対などを通じて政権与党に場と目をかける役割を果たしたことだ。
 特に自衛隊をめぐつては、非武装・中立を理想として「違憲」の立場を取った。のちに首相となる村山富市・元党委員長は「今日の自衛隊があれだけ歯止めのかかったものになっているのは、社会党が自衛隊は憲法違反だと頑張ってきたからだ」と述懐する。
 そした抵抗野党として存在感を発揮した社会党だが、選挙では単独で政権獲得に必要な過半
  数の候補者を擁立しなかった。国会では、与党と水面下で妥協と取引を繰り返し、与野党の国会対策委員会を舞台にした「国対政治」は55年体制の象徴になった。社会党には「批判勢力であることに安住している」との批判も出た。
 そんな社会党を、次代のうねりが翻弄する。
 自民党・竹下政権下で「リクルート事件」が発覚、消費税導入もあり、89年の内閣支持率が急降下し、89年の参院選で自民党は過半数割れに追い込まれた。憲政史上初の女性党首となつた土井たか子委員長による「山が動いた」発言は今も語りぐさだ。
 93年には社会党も参加した細川護熙首相の非自民連立政権が誕生し、自民の一党支配と55年体制が終わった。その細川政権も94年に総辞職。今度は自民、社会、新党さきがけの連立政権が実現し、村山氏が首相に就いた。
 これが社会党の転換期になった。村山政権は「現実路線」にかじを切り、自衛隊合意、日米安保堅持を表明。反対を掲げて選挙で躍進した消費税の3%から5%への引き上げも閣議決定した。
         (今野忍)

 ラクビー日本代表の独自表彰
 多様な評価軸 チームに推進力
  ラクビー日本代表には、独自のチーム内表彰がある。ジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC)が考案したもので、チームの一体感の醸成に役立っている。
 4種類ある。「ソード」と呼ばれる最優秀選手(MVP)は、タックル数や前進した距離など様々なスタッツ(数値)を参考に首脳陣が決める。賞品が日本刀(ソード)のレプリカだ。
 W杯第2戦で世界ランク2位のアイルランドを下したときの受賞者は特別だつた。。大金星にわくロッカールームで、ジョセフHCはソードを台座に置くと、「今日は全員がMVPだ」と語った
 「グローカル賞」は献身的な準備をした選手に与えられる。この試合は、ベンチ外だつたウベが受賞した。ジョセフHCは試合に向けた1週間の準備を重んじる。サインプレーを覚えたり、相手のスクラムやラインアウトの癖を研究したりする。控え組は、相手になりきり、先発組の練習相手にるのが常だ。
 「ぶーやー・オブ・プレーヤーズ」はベンチ外外の8選手が選出する。アイルランド戦は、スク
ラムの要、具が選ばれた。
 「ダーク侍賞」は今夏新設された。強豪を破るにはダークさも必要だという指揮官の考えからという。いわば「陰のMVP」。アイルランド戦は相手の嫌がるプレーを連発したムーアに贈られた
 独自表彰を選手は好意的に受けとめる。W杯デビューの開幕戦でMVPになった姫野は、「すごく励みになるし、いいチーム文化だと思う」と語る。賞金はないというのも特徴だ。プロ野球では、監督が大一番などで「監督賞」と呼ぶ金一封を贈ることがある。日本ラクビー協会もW杯決勝トーナメントに進めば、1人100万円の報奨金を支給することを公表している。
 さまざまな評価軸による名誉表彰で、激しい肉弾戦をチームとして反省し、次戦へのスイッチを入れる。チームの推進力を高めるのに果たす役割は大きいと見る
指揮官のチーム掌握術 としても、とても有意義な制度だ。チーム作りはW杯で一区切りつくが、レガシーとして残してはどうだろうか。
 
  1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終結。91年には旧ソ連が解体した。社会主義的政策の実現を掲げイデオロギーを対抗軸としてきた社会党は、世界の潮流に沿うかのように党勢が低迷していった。
 96年1月には党名を「社民党」変更したが、同年10月の衆院選で大敗。2年後に自社さ連立政権も終わりを告げた。社会党の挫折の教訓はその後、民主党に受け継がれていく。
 80年代末からの世界情勢の激動のなか、日本国内の政情も不安定が続いた。リクルート事件、東京狭川急便事件と「政治とカネ」をめぐる問題が次々と発覚し、政治不信は高まる一方だつた。国民の怒りは、妥協を前提とし与野党に緊張感が生じにくい55年体制への批判につながり、「政権交代のある政治」をめざす動きが強くっていった。
 93年当時、自民党にいた小
 
沢一郎らが小選挙区制や政治献金を制限する政党交付金の導入を主張。宮沢喜一郎首相がそうした政治改革を盛り込んだ関連法の成立を断念すると、小沢氏らは野党提出の内閣不信任案に同調した。不信任案は可決されて衆院の解散・総選挙に、自民党は過半数を割り、55年体制は崩壊した。
 選挙後に誕生した非自民8党はによる連立政権で、政治改革関連法が成立。96年の衆院選で小選挙区比例代表並立制が初めて導入された。選挙区での生き残りをかけ、与野党が真正面からぶつかりあう政治構造が生まれた。
 これを受け、新党の乱立状態だつた野党側は二大政党に向けて徐々に収斂していく。中核となつたのが、自民党離党組の鳩山由紀夫氏と、市民運動から政界に転じた菅直人氏らが96年に結成した「民主党」だ。98年には同じく自民党を離党した岡田克也氏らが合流し、新たな「民主党」が誕生。
衆参あわせて131人の勢力となった。
 当の基本理念に「共生社会の実現をめざす」と掲げ、自民党の「自由主義」「自己責任論」の対立軸として、社会保障をより手厚くした社会をめざす「民主中道」の政党を標榜した。英国の野党にならい、政権をとったときの閣僚メンバーをあらかじめ示す「次の内閣」制度も採り入れた。政権担当能力を、あの手この手でアピールするねらいがあった。
 2003年の衆院選では、国政選挙で初めてマニフェストを導入。「政権交代で何が変わるのか」を示そうと政策の達成期限や数値目標を並べた。「国会議員の定数と公務員の人件費を1割削減(4年以内)」「高速道路料金を無料に(3年以内)」などと示し躍進の原動力となつた。
 国会では対案と対決を使い分けた。日本長期信用銀行(長銀)の経営危機が表面化した98年の「金融国会」では、自民に野党案を丸のみさせた。07年には社会保険庁(当時)による年金記録のずさんな管理が発覚。「ミスター年金」と呼ばれた長妻昭・政調会長代理らが追求を強め、行政監視能力をアピールした。
         (小林豪)  

 イージス・アショア配備候補地
 正負に不審 問われる国家像
  これは国家像まぶつかり合いではないか。ミサイルをミサイルで撃ち落とす新型編器イージス・アショアの配備を政府が急ぎ、市民が反発する現状の取材で、この夏に秋田市を歩いてそう考えた
 表層はずさんな防衛省という話だ。配備先について、市内の陸自新屋演習場が「最適」と表明した1年も後の今年5月に出した。「調査結果」で、「不適」とした他の候補地の地形が誇張されていた。直後の市民説明会で職員の居眠りもあつて地元の不信を強め、再検討に追い込まれた。
 ただ、そもそも「最適」とされた新屋演習場はどういう場所か。日本海魔すぐそばで、向こうから来るミサイルをレーダで捉えるにはいい。だが陸の方を向けば1キロもない所から戦後にできたベットタウンが広がり、3キロほどに県庁や市役所、5キロほどに久保田城跡やJR秋田駅がある
 そして配備されようとするイージス・アショアとは何か。「ミサイル防衛」とはいえ、戦後日本が初めて地上に築くミサイル発射装置だ。小規模な訓練の場である新屋演習場に置かれれば、秋田
市の顔つきを一変させるだろう。
 政府が語るイージス・アショアの必要性とは、北朝鮮のミサイルを警戒する海自イージス艦を中国の進出への対応などに回せるというものだ。この新型兵器で島国を守るのだ。位置や地形が「最適」であれば都市の軒先であつても据え付けるという姿勢を示す。
 それはおかしいというのが地元の声だ。秋田市は古来日本海の交易で栄え、終戦間際の空襲を乗り越え再び発展した。 その地に当座の脅威を理由にイージス・アショアのような不信の砦を築くのか。外交努力は尽くしたのか。そんな厳しい視線があつた。海洋国家・日本の将来像が問われている。政府は南西諸島にも固定式ではないがミサイル配備を進める。中国や北朝鮮を理由に狭い国土をハリネズミのようにするのか、両国との対話を掲げる安倍政権に、秋田市の人々のような問題意識はどこまであるだろう。
 すべては今後、政府がイージス・アショアをめぐり地元に示す態度に表れる。注目はし続ける。
    
  野党・民主党が政権交代への流れを確かなものにしたのが、2007年の参院選での勝利だ
 小泉内閣が推し進めた構造改革で格差が拡大したことへの不満や「消えた年金問題」が追い風となって、自民党に大勝。衆参で多数派が異なるねじれ国会となり、その後の第1次安倍政権の退陣につながつた。
 参院の主導権を握った民主党は「実行力」を有権者に実感してもらおうと「数の力」を存分に使った。
 自衛隊によるインド洋での給油活動を一時中断させ、ガソリン税の暫定税率をめぐり、参院で法案を採決しない手法暫定税率を期限切れに追い込んだ。実際にガソリンの値段も一時的に下がった。
 同じ国会で、日銀総裁の同意人事をはねつけ総裁ポストが一時空席に、福田康夫首相への問責決議も可決した。支持率の低迷に苦しんだ福田氏は、1年での退陣を余儀なくされた。
 
  政権の座にいない野党が国政の過大を左右する力を握る。その器用列な存在感に有権者の期待も集まり、民主党は09年8月の衆院選で308議席(全議席480)を獲得し、政権交代を果たした。
 だが、満を持して始まったはずの民主党政権は、3年3カ月で終わる。
 野党時代に政権交代の成果としてマニフェストで約束した政策や、政治主導を強調した政権運営で、実を上げられなかったことが要因だ。米軍普天間飛行場の移設問題で迷走し、官僚を遠ざけた政治主導は空回りした。民主党は翌年10年の参院選で敗北し、国会はまたもねじれ状態に。今度は野党自民党による徹底抗戦に直面した。
 民主党政権の負の記録としてその後も尾を引いたのが相次いだ党内抗争だ。12年は夏にはマニフェストになかつた消費税
  の是非をめぐって党が分裂し、政権の弱体化に追い打ちをかけた。
 民主党政権の挫折が示すのは、野党が政権交代を上で、政党としての意思決定の部分でも政権担当能力を磨く人用があるという教訓だ。下野、多くの幹部が民主党の意思決定の仕組みの弱さを指摘した。
 野田佳彦政権で副総理を務めた岡田克也。旧民進党代表は「消費税の時など、党が大事な時にまとまらなかった。覚悟のなさに国民が不信感を持った」と話す。菅直人政権の官房長官だつた立憲民主党の枝野幸男代表は当時を振り返り、「大事な政策の柱のところで、内部でゴチャゴチャさせないということを、これからもしっかりと貫いていきたい」と語る。
 期待を集めて誕生した民主党政権の失敗は、「一大政党政治への失望を生んだ。その後、旧民主党勢力を中心とする野党は低支持率をさまよい、分裂を繰り返して多様化した。安倍晋三首相はいま、7年前に終わった民主党政権を「悪夢」と批判し、自民塔の安定感を強調しようとする。野党は、その主張を覆すだけの勢いを得られていない。
       (寺本太蔵)
 
 貧困とブレグジット
「外」に向けられた怒り この先は
 9月18日、英第2都市バーミンガム。寄附された食料を無料で配る「フードバンク」に、空っぽの買い物袋を手にした人たちが列をなしていた。英最大のフードバンクによると、真近1年で配った食料は過去約20年て最多。利用者の多くは仕事を持っている人だ。
 欧州連合(EU)からの離脱、ブレグジットに揺れる英国の足元で、貧困がひろまる。英政府の真近の統計によると、英国民の約4人に1人は相対的貧困者(生活費を除いた可処分所得の中央値の60%未満の低所得者)。子どもはもつとひどく約3人に1人だ。
 貧困を生んだ要因として多くの人が指摘するのは緊縮財政だ。2010年に政権をとった英保守党は、それまでの労働党政権の福祉政策を「無駄遣い」と批判。貧困対策を大幅に見直した。財政赤字は改善、失業率も3%台と低い。
 この低い失業率にこそ、「英国の貧困」を解くカギがある。保守党政権の緊縮策の一つに、低所得者向けの各種手当をまとめた「ユニバーサル・クレジット」という制度がある。「福祉から仕事へをスローガンに、「求職活動を積極
的にしていない」と判断されれば支給を止められることも。支給停止を恐れ、割に合わない低賃金の職に就く結果、「ワーキングプア」が生み出される構図だ。
 貧困が生み出す人々の不満や怒りは、どこに向けられるのか。
 バーミンガムで警備員をするボイドさん(42)は「福祉は英国人のためのもので、政府は自国民をまず助けるべきだ」EU加盟国では、他の国籍のEUしみんでも一定の条件を満たせば社会保障を受けられる。ボイドさんの目には、自分たちの福祉の財源がよその国の人に回されている、と映る。だがら「EUから離脱すれば、状況むはよくなる」と期待する。
 不満の受け皿になっているのは、怒りの矛先を「外」に向ける政治だ。だが詠シンクタンクによると今後5年程度で、離脱に伴う景気低迷や、英通貨ポンドの下落による物価上昇が家計を直撃し、子どもの貧困は過去最悪になる可能性が高いという。「怒り」を吸収する政治がもたらす結果の重さに、思いを致したい。 
 令和元年(2019.10.15日)  朝日新聞夕刊