No1 洗礼者聖ヨハネ 近藤勇と鞍馬天狗 土田麦僊 「魚籃観音像」 「鬼の行水」  
 うららかな春の一日、満開の桜の下を3人の女性が歩いている。京都の市中で行商するため。北にある大原の里から柴や薪などを運ぶ「お大原女」た゜。
 約100年前の大正初期に描かれたこの桜の絵は、京都で活躍した土田麦僊の若き日の代表作の一つ。穏やかな日常の風景だが、一方で日本画の新しい形を模索した跡が見てとれる。
 渡欧経験がある竹内栖鳳に師事した麦僊は、「黒猫会」「仮面会」に参加して西欧の最新の美術動向を研究した。伝統的な日本の絵画に採り入れて、新しい日本画を生み出すためだ。
 この絵のベースになっているのは、麦僊が京都の智積院でみた桃山時代(16世紀後半)の金碧障壁画だ。白い胡粉を盛り上げて描いた桜の花は、ほとんどが正面を向いていて装飾的。中央の幹の緑青とのコントラストが映える。
 一方で、西洋絵画の影響も感じさせる。
 お大原女の足や草鞋に流麗な輪郭線を使わず、あえて素描のような線を残した。素材には絹ではなく目の粗い紗を使った、山種美術館の山崎妙子館長は「素描のような線は動き出すため、紗はカンバスを意識したものかもしれない。旧態依然した日本画ではなく、新しいものを切り開こうという気持ちが伝わってくる」と話す。
 28歳の麦僊はこの絵を「骨身をけづる思い」で完成させ、1915年の第9回文部省美術展覧会に出品した。結果3等。保守的な文展では本人が期待していたほどの評価を得られなかった。不信を強めた麦僊は18年、同門の小野竹喬らと国画創作協会を結成。文展から離れて、新しい日本画の開拓に大きな役割を果たしていった。
    (西田健作) 
令和2年(2020.5.6)    朝日新聞夕刊