将棋の試合、いわゆる対局は、タイトル戦など一部を除いて午前10時から始まります。正午から40分の昼食休憩と、午後6時から40分間の夕食休憩以外はほとんどの時間を盤の前で過ごしています。ちなみにこの昼食と夕食は、対局中に係が出前表を持って各棋士を回り注文をとつています。盤の前で唯一和む時間です。終局すれば感想戦。どこが悪かったのか、どう考えていたのかを正直に、時には本音を隠しつつ一局を振り返ります。
 一日制での持ち時間は、「20分。切れたら1手30秒未満」といった短いものから、6時間と長いものまで、さまざま。6時間は一人も持ち時間で、午前10時から始まった対局でも勝負は深夜にまで及びます。タイトル戦の名人戦ともなると9時間、これは二日制となり、一日目に途中まで指し、二日目に続きを指し継ぎます。
 持ち時間の使い方は自由で、極端なことを言えば、睡眠に充てても構いません。トイレなどにも自由に行けます。
 
 ただし、離席している間にも持ち時間は減っていくので、時間がなくなるにつれ小走りになります。
 持ち時間6時間の対局で一手に5時間24分考えた棋士もいます。これだけ考えられる集中力は一朝一夕では身につきません。私の長考慮時間は、2時間の持ち時間のうち、一手に50分です。何を考えていたのかというと、同じことをぐるぐると考えていました。私の場合、集中力が全くなかったのです。考えがまとまらず焦るばかりで、長考の末、結局は悪手を指してしまいました。「長考に好手なし」とは、よくいったものです。今ではそうなってしまいそうな時には一度席を離れて、飲み物でも買ってリセットしています。
 感想戦に時間制限はないのです。両者が納得するまで行われます。深夜に対局が終わった後、朝9時まで感想戦をしていた例もあるそうです。将棋は体力、ですね。一方で、大逆転負けなどで敗者が熱くなってしまい、感想戦なし、ということもあります。
 将棋は他の競技に比べ長いのですが、だからこそ生まれるドラマがあります。時間を贅沢に使うことがてきる対局は、人生を豊かにしてくれます。

 ■次回は4月23日ごろに記載します
 
 
  太平洋に面した福島県いわき市。3~4キロほど内陸に入ったところに泉地区の中心市街がある。幕末、ここは譜代大名の本田家が治める2万石の泉藩だつた。藩は旧幕府側の奥羽越列藩同盟に加わり敗戦。維新後は反動で廃物毀釈ノ嵐が吹来荒れ、廃寺は約60カ所にも及んだ。人口2万人規模の旧領内には数年前まで寺は二つだけ。葬儀の多くは神式で営まれてきた。
 2018年6月、藩主が暮らした陣屋後に近い閑静な市街地の一角に小さなお堂「蜜厳堂」ができた。住職の松井好観さん(63)は福島県警の元警察官だ。鑑識畑が長く、11年の震災当時は津波な  維新後 廃寺60カ所  日本が近代国家へと歩み始めた明治維新の直後、廃物稀釈と呼ばれる仏教迫害運動が起こった。戊辰戦争で新政府側に激しく抵抗した東北にも、徹底した打ち壊しによって、寺がほぼ消えた地域があった。百数十年の後、東北は大震災という形で再び見舞われる。その復興に、寺の重要性に着目する人々がいる。 
鎮魂・伝承 被災地に寺の力 
 どによる犠牲者の検視を担当した。1日に何十もの死に直面した松井さんは「職業柄とはいえ、経験したことがない規模の死を目の当たりにし、ショックだつた」と振り返る。
 松井さんは10代の頃から仏教に興味があった。「生きている限り、息の長い慰霊・鎮魂をしたい。そのためには寺が必要だと考えるようになつた」
 定年後に高野山(和歌山県)で修行し、自宅敷地内の離れを改築した。今後は檀家を募ることなども検討している。3月11日の法要は、今年は新型ウイルス過で中止したがも昨年は、近所の住民や同級生、警察官時代の仲間など数十人が集まった。
  松井さんの思いは、いわき市外の人にも広がった。
 震災後、市内に通う東京の美術家、黒瀬陽平さん(36)は17~18年、改修中の松井さんの寺など、旧泉藩領を舞台にした現代美術展を企画した。震災を戊辰戦争に続く2度目の危機ととらえ、廃寺跡や空き地に積まれた墓石などを巡るツアー型展示にした。
 単なるアイデア先行の企画ではない。展示に当たっては市内の郷土史研究家・江尻浩二郎さん(49)を中心に約60カ所の廃寺跡をすべて歩き、史料を徹底的に調べ上げた。
 なぜ寺なのか。黒瀬さんは  文化や歴史の中核  この寺には、もう一つの思いも込められている。
 松井さんの家は代々、泉藩の郡奉行を務めたと伝わる。同藩は尊王の藩論が根強く。戊辰戦争でやむなく旧幕府側に加わったが、松井さんによれば、廃仏毀釈の嵐の吹き荒れると、寺を壊す側に回った先祖もいたという。「約150年ぶりに寺をつくることで、歴史に翻弄されたご先祖さんの罪滅ぼしになれば」
 近代以前の人々の生活文化や地域の歴史にとって寺が欠かせない「核」だつたからだという。寺には墓や過去帳があり、各人が先祖の歴史たどれる。住職は語り部でもある。葬式や祭りなどの儀礼も、文科や歴史の伝達手段だ。黒瀬さんは「近代以前の日本美術は、寺の中を荘厳する(飾る)仏教美術の占める割合が大きい。21世紀の寺に現代美術の作品が並んでも不思議はないろという。
 黒瀬さんは15年に市内の別の寺で美術展を開いて以来、被災地と仏教、美術の関係を問う展示を続けている。寺が果たしてきた社会的役割の一つは、戦争や災害などの「大惨事」の慰霊・鎮魂の継承だ、と黒瀬さんは考える。廃寺で文化や歴史が一度途切れた地域が、再び災害という危機の見舞われた。松井さんのような寺をつくる動きが生まれたのは、「必然ではないか」と黒瀬さんは言う。
 全国では過疎化や葬式の簡素化が進み、寺の存在感は縮小する一方だ。だが、寺には「果たしすべき大きな役割がまだある」松井さんたちに共通する思いだ。
      (大内悟史)
 令和2年4月5日 朝日新聞より