黒死病の教訓 600年で忘れた人類 
  コロナ・ウイルスが世界を席巻している。中国武漢で発生、日本にも来るか、もう来たかと騒いでいるうち、感染はアジア、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニア、アフリカと拡大、あっという間に世界的なパンでニックである。
 これは歴史的な事件になるかもしれないというのは、今や一三四七年の大ペストさえ彷彿とさせるからだ。それを「黒死病」と呼んで恐れたヨーロッパ人にとっては特にそうだ中世の話など端から頭になかった。
 一三四七年のそれは、中央アジアで発生した。カスピ海の北のリートで黒海まで進んだところで、いたのが、このときも今と同じといおうか、北イタリアのジェノヴァ人だった。クリミア半島のカッファの支配を   
 巡って、モンゴル人と戦争をしていたからだが、これを休戦になると、地中海を船で渡って、さっさと帰国してしまった。一緒に上陸したのがペストというわけで、まずイタリア、アルプスを越えてフランス、ドイツ、大西洋も渡ってイギリス、アイスランド、グリーンランドまで蔓延した。五年間で人口の三分の一が失われ、ひどいところでは半減したと伝えられる大惨禍になつたのだ。
 この大ペストを前に、当時のヨーロッパ人はといえば、ほとんど何もできなかつた。やったのはヒステリックな八つ当たりくらいで、迫害したのが昨今の中国ならざるユダヤ人だつた。井戸に毒を入れただなんだのと濡れ衣を着せながら、逮捕、追放、虐殺と手を染めたのだ。こんな黒歴史ばかり残して、どうして当時の人々は何もできなかってのか。
 無能だったわけではない。簡単に
 下船させてはならないと、もう一三四七ねんにはヴェネツィアで、入港船は四十日間の停泊を命じる措置が取られている。四十日はイタリア語でQuarana、フランス語でQuarantaineだが、それが今では「検疫むを意味するように、以後広く普及していくように、要は隔離だ。病根の封じ込めなのだ。地上も同じで、千七百二十年、マルセイユでペストが流行したときは、その外周に出入り漢詩のための柵と豪が巡らされた。近くには飛び地の教皇領コンタ・ヴネサンもあったが、フランスは外国と思うせいか往来を完全拒否。全長二十七キロに及ぶ石の塀まで築いている。やることはやるようになったのだ。
 それを過去の痛手に学んだというならば、一三四七年は仕方がなかったか。初めてだったから、何もできなくて当然か、いや、実体験は初めてでも、歴史の教訓はあった。八世紀までは繰り返しペストの大流行が起き、やはり大量死をもたらしていた。史書にもきちんと記録されていたのに、それをどうして活かすことができなかったのか。
  一説に人類は、どんな歴史の教訓も六百年で忘れるという。あるいは多識として持ちえても、現実味を覚えなくなるのかもしれないが、いずれになせよ、今の世界の無力が妙に頷けてくる。この二〇二〇年は、一三四七年の大ペストから六七三年だからである。もう過去からは何も引き出せない。仕方がないとしても、その報いは大きい。ことによると、世界を一変させてしまうくらいに大きい。
 一三四七年の大ペストはヨーロッパだけで流行したのではない。発生が中央アジアであれば、むしろこちらが本場だ。そこにあったのが、モンゴル帝国だった。今の中国が掲げる「一帯一路」を地で行くような大帝国だが、これがペストによる大量死で弱体化、さらに瓦解に傾斜していく。その一部が「元」だが、この中国部分でも、地域によっては人口が半減するほどだった。やはり国家は揺らぐ。政権交代くらいは簡単に起こる。元が滅び、明が建てられたのは、ほどない一三六七年のことである。 
  木に文字や文章を書き記した木簡。それは形も使われ方も内容も実に様々だ。そこから古代の実像を読み解こうと取り組んでいる、奈良文化財研究所の研究者らによる『木簡 古代からの便り』(岩波書店、本体千1800円)が刊行された。朝日新聞の週末別冊「be」に2018年4月から1年間連載した「木簡の古都学」に書き下ろしを加え、再構成された。
 例えば形。「細長い熨斗アワビの荷札には、長さ〇センチ以上のものが多数」あると、同研究所の長田訓也主任研究員。一方、牛や羊の乳を煮詰めた乳製品「蘇」の荷札は長さ5~6センチと小さく、「少量ずつの貢納であったことの反映」だという。木簡は体を表す    
木簡から読み解く古代
本紙be連載まとめ奈文研刊行 
  例えば時代、奈良時代は20万余り、長岡京(784~94年)のころ9800以上が見つかるのに、平安時代に入ると激減し、4千~5千点になる。山本崇主任研究員は「その要因を解明できない」でいると明かし、都の絶滅後に木簡が田畑に埋もれた平城京や長岡京と、千年以上都市として続いた平安京の違いが影響しているかも、と推論した。
 木簡は表面を削って字を消せば再利用できる。縦に細長く割れば「トイレット・ウッド」、用便後に尻を払う籌木に用いられたもの
 ある。また、堤や道路の基礎工事の材料として地中に埋められたものも見つかると、渡辺晃宏副所長が書いている。
 歴史書は「公式記録」だが、木簡は古代人の生の姿を伝えてくれる。物品購入のリストの木簡には、「急な腹痛で納品と報告に行けない」という「言い訳」の書き込みがあった。その前に、品物の数を書き間違えたところがあり、馬場基・史料研究室長は「すでに腹痛の予兆が襲っていたのかも」と推理した。
 木簡に刻まれた年輪は、時代を推定する手がかりになる一方、別々の木簡が同じ材料から造られたかどうかや、木の産地を明かしてくれる。年輪年代学を研究している星野安治・年代学研究室長らの報告は木簡研究の新しい可能性に迫る内容だ。
    (肩書は発行時)
 令和2年4.20日  朝日新聞