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 原直人              
 ノーベル平和賞に、「失敗」はあっていいのか?
 昨年の受賞者て゜あるエチオピアのアビー・アハメド・アリ首相への批判が高まっている。隣国エリトリアとの国境紛争で和平合意したことが評価されたが、わずか1年後の先月、今度はエチオピア国内で軍事衝突が始まった。多数の死傷者や難民が出ており、少数派民族勢力への掃討作戦を命じたアビー首相は非難を免れないと思う。
 だが、120年近く続いてきたノーベル平和賞受賞者の顔ぶれをみると、その時々の国際政治の理想と現実が凝縮しているのがわかる。選ぶ側の限界はあるし、授与後の受賞者の行動を保証するものでもない。
 2014年末まで25年間、ノールウェー・ノーベル委員会事務局長を務めるゲイル・ルンデスタッド氏は、回顧録で「平和賞が実際に国際政治の状況を変えることができるのはまれであ  
 ノーベル平和賞 「失敗」性急に断じられない 
 束ティモールは、国際報道の記者として私が初めて取材した紛争地だ。1996年のことである。
 ポルトガルの植民地からインドネシアに武力併合された束ティモールは、四半世紀に及ぶ紛争を経て、2002年に独立を果たした。その過程において、ノーベル平和賞が果たした役割は大きい。
 ―と、今なら言える。ただ、取材を始めた当時はインドネシアからの独立か残留かを問う住民投票を控え、残留派の民兵が、独立支援者や仲人に入った国連関係者らへの銃撃事件を頻発させていた。
 山岳地帯のふもとで村人を取材した帰りで連れていけ」と言われた。
 やむなく進んだ山道に、血まみれのジーンズが落ちていた。兵士





 
る」と素直に記している。
 平和賞の選考をつぶさに見てきた彼が「ミットも良い例」に挙げたのは、1996年、受賞者は、東南アジアの束ティモール紛争で住民の抵抗支えたラモス・ホルタ氏とカルロス・ペロ司教だつた。
 束ティモールが安定してきたのは、この10年余りだ。現地のNGO関係者に今の様子を聞くと、都市部と地方で差はあるが、人口    らは、「独立派のだ」と断言した。だが、彼らを降ろしてから行った地元警察署に、裸の遺体が置かれていた。山での戦闘に巻き込まれた農民だという。「平和とは生き延びることだ」と話していた村人の、おびえた顔が浮かんだ。
 ホルタらへ贈られた平和賞の理由は「抑圧された人々への断続的、自己犠牲的貢献」だつた。でも、3年たつても人々は抑圧され、救われないままではないか。「これがノーベル平和賞の結末か」と、むなしさがこみ上げたのを覚えている。
 住民投票では8割近くが独立の投じたが、直後から騒乱状態になつた。朝日新聞の取材拠点も焼き打ちされた。紆余曲折を経て独立した後も暴動が続き、多数の犠牲者や難民が出た。大統領になったホルタ氏自身も襲撃され、瀕死の重傷を負った。
120万の暮らしは徐々に上向き、政治をみる目も冷静になって来たという。
 首都テイリの大統領府で8年前、就任直後のホルタ氏を取材したことがある「平和賞を受けて良かったか」と聞いてみた。「間違いなく良かった。賞なしでは国際社会は注目せず、国連の支援もなく、独立もできなかっただろう」が答えだつた。
 アウンサンスーチー氏や佐藤栄作元首相のように晩年に功績に傷がついた例はあるし、現職政治家への授与については私も疑問を感じる。ただ、平和賞が当てる光の良さは様々であり、部外者が「失敗だつた」と性急に断じられないこともあると思う。
 「平和」には、時間がかかるのだ。
 2020.12.15 朝日新聞夕刊より